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「好き」を仕事にする、ではなく「想い」を仕事にせよ

投稿日:2009/12/02更新日:2019/04/09

未来を描くということ

・「少年よ、大志を抱け」 (ウイリアム・クラーク)
・「夢見ることができれば、成し遂げることもできる」(ウォルト・ディズニー)
・「思考は現実化する」 (ナポレオン・ヒル)
・「想像力は、知識よりも大事である」 (アルバート・アインシュタイン)
・「僕は生計のために、夢をみる」 (スティーブン・スピルバーグ)
・「心構えした者に、チャンスは微笑む」 (パスツール)
・「アイ・ハブ・ア・ドリーム」 (マーチン・ルーサー・キングJr.)
・「他人のイメージに従って生きることなどできない」(ケビン・コスナー:なぜ自らが監督となって『ダンス・ウィズ・ウルブス』を撮ることになったのかと質問されて)

偉業を成し遂げた多くの人たちが、夢や志、想い、願い、理想イメージの重要性をさまざまな言葉に残している。

見方を変えれば、彼らはあなたに対して、自分の向かいたい先の未来景色を描いているか、と問うているようでもある。

世知辛い世の中で、多くの人は各々の人生において、算数ばかりを考える。しかし、人生とは、絵を描くことであり、工作(“ものつくり”という意味で)をすることが本質のように思います。そして、結果的に何かを作品として残す。作品とは、目に見えるモノや業績に限らない。自分の人格や自信、充実感のようなものであるかもしれないし、永く心の中に残る想い出や体験かもしれない。いずれにしても、まず「描く」ことこそが大事なのです。

しかし、その描くことが難しい。

平成ニッポンの世は、幸運にも、自分の職業選択に関して何を描いても自由ですよと言われているにもかかわらず(人類史上こんな幸せな状態はかつてなかったのに)、多くの人はそこに難儀を覚える。

かのピーター・ドラッカーは、「先進国社会は、自由意志によって職業を選べる社会へと急速に移行しつつある。今日の問題は、選択肢の少なさではなく、逆にその多さにある。あまりに多くの選択肢、機会、進路が、若者を惑わし悩ませる」と言います。

職業が多様化し、職種や業務が溢れる現代においては、むしろ夢や志を描くという力が衰弱していきます。なぜなら、あまりにも求人情報や採用条件が機械的でカタログ的な枠でもって仕事を限定するために、働き手はそこに自分をはめ込むことを強要されます。

結果的に職業・キャリアに対してふくらみのあるイメージを描けなくなってしまうからです。就職活動を控えた学生の多くが、そしてすでに職を得て、どこかの会社でサラリーマンをやっている社会人でさえも、「あの会社にどう入るか」、「目先の仕事をどう処理するか」、に頭がいっぱいになるだけで、自身がずっと心の奥に抱える問い「自分はいったい何をしたいのか、何になりたいのか」が描けないというのが現実です。

私は、この状態を非難しているわけではありません。私自身も学生時代は発想貧困な就職意識でした。ドラッカーも指摘しているように、あまりに過剰な選択肢の中から職業を選び取ることは、おおいなる戸惑いなのです。

現代人の自由に対する複雑な心情を記した名著『自由からの逃走』(東京創元社)を著したエーリッヒ・フロムも、「〜からの自由」(消極的自由)を勝ち取るのに人類は勇敢に立ち向かったが、「〜への自由」(積極的自由)を最大限活かすことに人類は臆病であり、うまくないと指摘しました。

さて、前回の記事で、自分の登るべき山を見つけ出す(正確には、つくり出す)ことの重要性を書きました。その際に、ともかく「もがいてみよ」とも書きました。

今回の記事のコアメッセージは、やみくもにもがくのではなく、「想い」の下にもがけ、さらば道は開かれん、ということです。

発想の展開力で、自分の登る山が見えてくる

キャリア・人生をたくましく切り拓いている人は、間違いなく「描くことができる人」です(実際には誰しも最初から明確に描くことはできないので、正確には「描こうとする人」「描くことに飽きない人」といった表現が適当かもしれません)。

私がここで言う「描く力」とは、具体的には「発想の展開力」と置き換えることができます。例えば、自分が野球でもサッカーでもいいのですが、プロスポーツ選手を目指しているとします。

実力と運に恵まれて、そうなれば一番よいのですが、プロスポーツの道も厳しいですから、そう簡単になれるわけでもありません。そして、事実、そうなれなかったとします。
あるいは、いったんはプロ選手になれたが、その後ぱっとせずに引退を余儀なくされたとします。

さて、そのとき、あなたは職業選択をどう考えるでしょうか——?

体育会系で協調性があり、人当たりがいいから、営業の仕事に就こう。あるいは、身体が頑丈なので作業現場の仕事なら大丈夫だ。こうして直接的な自分の強みと即効性を結び付けて考えるのは、けっして悪くはありませんが、通常の発想です。

しかし、もう少し発想を展開してみれば、プロスポーツ選手に隣接する職業はさまざまに考えられます。下図はその一例です。

自分の強みと追加技能や知識の修得を加えれば、プロ選手を脇から支えるトレーナーやティーチングプロはどうだろう、また審判員はどうだろうとなります。また、興味・関心がつながるものとしては、球団の運営やスタジアムの運営、スポーツメディアの仕事、
あるいは道具メーカーで商品開発などの仕事もあるでしょう。もちろん、これらの職に就くためには、新たに勉強して身につけなければならない技能や知識があります。しかし、そうした努力はどのみち他の選択肢を採ったところでやるべきことです。

さて、発想はまだ発展します。

もしあなたがスタジアムの運営に大きな興味を感じ、その関連で職を得たいと思ったとしましょう。そこで、また発想をします(ここでいう発想はもちろん、現実の情報収集も含んだ上での発想です)。すると、スタジアム運営の周辺にもさまざまな仕事が候補として浮かび上がってきます。

球場ビジネスの経営、イベント興行の仕事、場内の飲食業、球場の営業の仕事、球場の保守の仕事、天然芝の生産の仕事、等々。これら仕事について、いろいろと調べていくと、
あなたの中でも新たな発見や興味が湧いてくることでしょう。

上図の例では、あなたがその中でも、天然芝の管理ビジネスに高い関心を寄せ、さらにそれを追っていくうちに、ついにはグリーンキーパー(芝の維持管理者)の派遣ビジネスにたどり着くというものです。

この一連の発想の展開で大事なことは、その発想の根底に、あなたのスポーツへの「想い」が流れ続けていることです。「自分はプロ選手にはなれなかったけれども、陰から名勝負が生まれることを助けたい。選手になりそこねたおかげで、その分、プレー環境や道具に関する選手の要望が誰よりもよくわかる。たまたまその仕事に就いている人間には絶対負けない!」という想いです。

自分の想いをメガネにして、いろいろな職業、職種、業界を見てみる。そうすると、予想外のつながりや展開が生まれてきます。上の例では、プロスポーツ選手からグリーンキーパーの人材派遣ビジネスに展開しました。

第三者が聞くと脈絡がありませんが、本人が自分の想いでつながっていればそれでいいのです。

自分の中で、過去に培った経験や強みがすべてその仕事に活きてくれば、やがて周辺の人間も、お客さんも、「なるほど、この人のつくりだす商品・サービスは確かに違う」と気づくようになるでしょう。

本人がプロスポーツ選手への道が絶たれたとき、もし、発想を面倒がり、体育会系で人当たりもいいから何でも適当に営業の仕事に就けばいいやと簡単に就職してしまったら、
その後、「俺はなんでここでこんなものを売っているんだろう?」という状況に陥ってしまう可能性があります。

将来をあれこれ発想して展開するには、意志と努力が要りますが、それは将来の自分を助け、活かすために、今、重要な作業なのです。

どのみち人生はもがかねばならないものです。ですが、その「もがき」を徒労に終わらせないために、私たちには「想い」が必要です。想いの下にもがいていれば、必ず自分の山が見えてくるものです。

好きだけでは弱い、意義を見い出せ

さて、最後に「想い」について補足を。

私がここで使っている「想い」という言葉のニュアンスは、「具体的な像・姿」×「意義・理念・使命感」の2要素の組み合わせです。ですから、imaginationとaspirationの混合といった感じです。

この組み合わせを噛み砕いて表現すると、「想い」=「自分がこうありたい状態」×「〜のために」となりましょうか。

従って、自分がこうなりたい、ああなりたいと想像するだけを「想いを描く」とは言わないのです。そこに「何のために」という意義づけがあって初めて「想いを描く」が成り立ちます。

よく「好き」を仕事にする、のがよいと言われます。

私はこれは、半煮えの考え方だと思っています。半煮えということで否定ではありません。好きであることはとても大事です。ただ、好きを仕事にしようと脱サラをした人で、その後すぐに行き詰ってしまう事例をいくつも目にしてきました。

そのことが好きだという愛好者の目線は、いかにそれを生業として継続させていくかという経営者の目線とはかなり異なっているので、好きという熱や思い込みだけでは立ち行かなくなる状況が、必ず生まれます。

そしてもう一つは、「好き」は、ちょっとしたきっかけで、いとも簡単に「嫌いになった」「飽きた」に豹変することです。

さらに、「好きであれば何事も何とかなる!」という能天気さのみが一人走りして、他人の成功イメージをただ単に真似するだけで、自分独自のイメージを持つことをしない。

ですから、私の主張は、「好き」を仕事にするのではない、「想い」を仕事にせよ。となるのです。

自分がこうありたいという自分なりのイメージを持つ。そして、その底辺には、「〜のために」という意義をしっかり持つ。「想い」を仕事にするとき、人は、よいアイデアも湧いてくるし、辛抱強く粘ることもできる、多少の苦難があっても飽きずに継続ができる。そうしてもがいているうちに、霧の向こうに自分の山がしっかり見えてくる。

これからは、自分なりの「働く想い」を描く者と描かざる者の間で、キャリア・人生がくっきり分かれるという二極化が進みます。想いを描き、エネルギーを無尽蔵に湧かせながらキャリアマラソンを楽しむ人たちと、想いを持たないがゆえに現状のストレスにあっぷあっぷで、将来に不安を抱えながら走る人たちと。

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