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アドバンテッジパートナーズ・笹沼泰助氏―プライベートエクイティの社会的役割を完遂する

投稿日:2008/04/04更新日:2019/04/09

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まず簡単に自己紹介から始めます。アドバンテッジパートナーズは、プライベートエクイティ(以下、PE)ファンドを運営する会社です。

PEという言葉は、7~8年前から日本でも使われ始めました。皆さん、一度は耳にしたことがあると思いますが、具体的にどんなことをしているか、ピンと来ない方も多いのではないでしょうか。

PEを直訳すると「未公開株」ですが、欧米では一般に、既に確立した基盤を持つ企業を買収し、その価値を高めた後に売却するバイアウトファンドを、PEファンドと呼称しています。ただ、PE投資は概念上、アーリーステージのベンチャー企業に投資するベンチャーキャピタルも包含しており、ベンチャーキャピタルを含む広義の概念で話をする人もいれば、狭義の買収投資のみを指す人もいるので、そこを理解しておいたほうが良いでしょう。

いずれもファンドを通じて投資することに変わりはありませんが、そのリスク、リターンの取り方は買収投資とベンチャーキャピタルとで大きく異なります。

アドバンテッジパートナーズが事業領域として定めているのは、前者の買収投資です。企業全体あるいは一部の事業を買収し、積極的に経営に参画して、ビジョンの明確化、戦略の構築、組織やオペレーションの強化などの変革を行う。それによって企業価値を高め、上場やM&Aにより投資収益を得ています。

ニュースなどで皆さんの目に留まったであろう案件を上げると、例えば現在は、東京スター銀行にTOB(株式公開買い付け)をかけています。また数年前に遡ると、産業再生機構からダイエーやカネボウの再建を請け負いました。カネボウについては、当社以外のファンド2社と協力し、化粧品以外の事業について現在も経営改革を進めています。このほか、焼肉チェーンの「牛角」、高級スーパーの「成城石井」を傘下にするレックスホールディングや、飲料メーカーのポッカコーポレーションなど、投資案件の業種・業態は多岐にわたります。従業員30人という小さな会社から、4万人を抱えるダイエーのような巨大企業まで、様々な企業の、様々な経営課題と対峙してきました。

かつてのメインバンクの機能をリスクマネーで代替する

PEファンドが果たす社会的機能について、私なりの考えを述べたいと思います。

ご承知のとおり、企業の成育には幾つかの段階があります。まず、ゼロから事業を起こすスタートアップ期は、(私自身も体験したことですが)金融機関などからの資金調達は極めて困難です。昔であれば親兄弟や友人知人から借金をするところでしょうが、最近では富裕投資家など、いわゆる「エンジェル」と呼ばれる人が、「多分、失敗するだろうけれど、まぁ、やってみなさい」と支援をしてくれることもあります。

多くの事業はスタートアップ期に駄目になってしまいますが、ここで生き残ってアーリーステージに進むと、ベンチャーキャピタルのようなところが資金を付け足してくれる。そして、もう少し上手く回り始めてレートステージ、いわゆる成長期に入ると、さらに長期の資金が入ってきます。このようにして企業というのは、徐々に成長し、その姿を変えていくわけです。そして、めでたくIPO(株式公開)となると、テレビドラマなどであれば、ここで「めでたし、めでたし」、大団円です。ところが、実際の企業経営というのは、そんな簡単なものではない。IPOというのは新たなスタートでしかなく、その先には上場前以上の大きなドラマが待っています。

上場後、ある一定期間を経て、相当数の企業が停滞をしたり、凋落してきます。とりわけ、ここ数年に上場した企業の多くが、上場後すぐに業績が悪化し、株価を下げています。そうした様相を目の当たりにするにつけ、上場というのは企業にとって決して“上がり”ではなく、一つの通過点に過ぎないことを実感します。

では、ある程度の規模になっていながら様々な課題を抱えたこれら上場企業を誰が支えていくのがいいのでしょうか。

1990年代ぐらいまでその役割を担って来たのが、いわゆる「メインバンク制度」でした。日本ならではの商慣行として、銀行が様々な企業に対し、ほぼ無期限で資金を入れ、何かあった際には全力で、その企業をバックアップする。そのようにして、企業の栄枯盛衰を支えていました。

ある程度まとまった融資をし、それを長期にわたってバランスシート上に寝かせるというのは、銀行からすれば、エクイティ(株式)投資に近いリスクを取っていることと同義と捉えていいでしょう。それだけのリスクを取りながら、一方で得られるリターンはせいぜい2~3%。これでは何か大きなネガティブな変化が企業に起こり、業績に表れたら、銀行は、たまったものではない。このリスクとリターンのアンバランスが顕在化したのが、バブルの崩壊だったのだと思います。

バブル崩壊を経て、日本の金融機関も、「リスクに見合わないような薄いリターンで巨額の貸付はできません」と、いわば自らメインバンク制度を放棄したんですね。そこで先に申し上げたような、誰が(IPO後の問題を抱えた)企業、とりわけ中規模の企業を支えていけばいいのか、という問題が表出してきました。アドバンテッジパートナーズのようなPEファンドが、この10年ぐらいの間に立ち上がり、また機能し始めた背景には、このような環境変化があるのです。

上場企業が、もう本業とはみなせないような不採算の事業を抱えて、一体どうしたらいいんだろうかと頭を抱えているときに、我々のようなリスクキャピタルが、独立企業として再度、発展できるよう改革の手助けをする。例えば、ダイエーが産業再生機構、つまりは政府の管理下に入った際には、私どもが600億円の資金を投じ、同時に私自身も役員として入るなどして内側から改革を推進していきました。

日本の銀行が取れないリスクを、私たちが募った世界中からのリスクマネーが取ってくれる。そうして、資金だけではなく、同時に経営のサイエンスを入れることにより、企業の盛衰や産業再編のニーズに応えていく。私どもはそのアレンジャーであり、オーガナイザーであり、カタリストなのです。

実業家を目指して会社を飛び出しビジネススクールに

ではなぜ、私がPEファンドなどを興すに至ったのか――。振り返れば30歳で実業家を志し、会社を飛び出して以来、様々な経験を重ねてきました。

慶應義塾大学を卒業後、最初に積水化学工業に入社しました。当時はセキスイハイムというユニット住宅が非常に伸びていましたが、今でも高収益を続けている素晴らしい会社です。プレハブ住宅の営業の部門に配属になり、それこそ夜討ち朝駆けで個人のお客様に住宅をお売りするというところからキャリアをスタートしました。その後、人事勤労部に4年、経営企画室のようなところに1年。新規プロジェクトも経験しました。

30歳の時に意を決して、慶應のビジネススクールに入りました。なぜそのような道を選んだのかというと、会社で色々な仕事をしている中で、自分の人生はどうあるべきなのだろうかと相当、悩んでいたんですね。頑張って役員になり、社長を目指すというのもあるでしょうし、学校に戻ってアカデミックな道に進むことも考えました。

プレハブ住宅の営業を通じ、建築の世界がとても面白いことを知ったので、大学に行き直して建築家になろうかとか、高校時代にバンドをやっていたので、やっぱりミュージシャンかとか、真面目なサラリーマン生活をしながらも日々、思い巡らせていました。

ただ、よくよく冷静になってみると、ミュージシャンは大成する可能性が低すぎる、建築も今から大学にいくのはダメだ、など、色々なことを消去した結果、やはり企業経営というテーマに関連するところでしかもう生きられない、これまでの蓄積を投げ捨てることはできない、というところに思考が行き着きました。

では、企業経営の中で自分の性質や考えに向くのは何かと考えた時に、最も素晴らしいことはゼロから事業を成功させることだろうと。難易度は高いが、成功すれば、それなりの栄誉と、もしかすると経済的なメリットもあるかもしれない。そんなことを考え、30歳の誕生日の朝に決心して、その足で会社の上司に「将来、実業家になりたいので会社を辞めます」と報告しました。

そして、「さりとて経営の事は全く分からない。集中的に勉強した方がいいだろう」と、ビジネススクールに通うことを決めたのです。積水化学で人事部にいた際、企業派遣で毎年、慶應のビジネススクールに社員を出していたのですが、派遣された社員が2年経つと、非常に立派になって帰ってくる。それが印象的だったため、「経営知識のない私でも、少しはマシなビジネスパーソンになれるかな」と、にわか試験勉強をして入学しました。

ビジネススクールに行っている間も、「何の目的で会社を辞め、勉強しているのか」ということは常に念頭にありました。「自分で会社を興すんだ」「そのために自分は冒険の旅路に出たんだ」と繰り返していた。ただ、ご承知のとおり、MBAのコースというのは、とても大変で、毎晩徹夜に近い状態で勉強をすることを求められるため、具体的にどのような事業を興すのかといったことを考える暇などはなく、あっという間に2年間が終わりました。

卒業後は、戦略コンサルティングファームのベイン・アンド・カンパニーに入社しました。とりあえず何をしようかと考えた時、コンサルタントとして経験を積めば、多種多様な事業に触れることができ、その中から、自分がやりたいことを見つけられるだろうと思ったからです。

しかしこれも、いざやってみるとビジネススクールのさらに数倍忙しく、しかも強烈なプレッシャーの下で生活が進んでいきました。「どんな事業を興そう」など腰を据えて熟考する余裕は全くありませんでしたが、ただ、このとき担当した事業の一つにPEがあり、「そういう世界があるんだ」という知見を得ることができました。

今、アメリカは大統領予備戦の真っ只中ですが、共和党の候補者だったミット・ロムニー氏がベインの大先輩でした。ロムニー氏はベインで長くコンサルタントをやっていて、ベインのパートナーたちと独立をし、子会社的な位置づけでベインキャピタルという世界最高峰のPEファームを作り、活動を始めた時期だったんですね。

ボストンでミット・ロムニー氏の講演を聴いて、非常に感銘を受けたんです。「なるほど、こういう事業があるのか」と。世界中の機関投資家から200億ドルぐらいを集めて、当時、世界で3番目ぐらいのファンド。IRR(内部収益率)が107%で4年ぐらいずっと回っていました。「なぜこんなに高いリターンで投資が回るのか」と考えてみると、レバレッジド・バイアウトの仕組みというのは一応、ビジネススクールで学んでいたので、そのレバレッジの効果で、ある程度リターンを出しているのだろうと、そこまでは比較的、容易に想像できました。

ただ後日、実際にベインキャピタル関係の事業に入る機会を得て、金融工学的な技術を駆使してリターンを出すだけではなく、コンサルティングの機能を投入して、ビジョンの見直しから戦略の見直し、オペレーションも大きく変革し、より高収益の体質に企業自体を作り変える様子を目の当たりにしました。これに強い刺激を受け、「これはもしかすると自分の将来の事業のテーマになるかもしれない」と、おぼろげながら感じたことを記憶しています。

“実業家”の周辺領域で惑った米国時代

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ただ、そうこうするうちにも時は瞬く間に流れ、具体的には何も踏み出せないまま、年齢だけは重ねていくことに焦りを覚え始めました。そこで考えたのが、「ベンチャーのメッカであるアメリカに行けば、何らか出会いがあって、実現可能性の高い事業プランを描けるのではないか」ということでした。

ハーバード大学にジョンエフケネディ政治行政大学院(Harvard John F. Kennedy School of Government、世界最高峰の公共政策大学院。ケネディスクールと通称される(編集部注))というところがあります。これは政策立案など公共経営を専門にする“ビジネススクール”で、世界各国から高級官僚、政治家を志す人々が集まるのですが、幾つかの選択肢から、ここに留学を決めました。

留学中は、国際交渉および財務管理に特に力を入れて学びました。世界各国から集まった優秀な人々と、国家や組織の運営について高い視座で議論する、その凄みを日々、感じましたし、自身が世界的にみて、どの程度の位置づけかという相対感も持つことができました。私にとっては初めての長期にわたる海外経験でしたが、集中的にコミュニケーションする中で、片言ながら、英語で意思を伝え合う力も、ある程度は付いたと思います。

後に事業を興し、海外の機関投資家などと接する際、MBAを持っている、ハーバードで教育を受けている、英語で直接、コミュニケーションできる、ということが、仕事を進めやすくしてくれた面は多分にありました。

ただ、留学の真の動機であった事業プランの立案については、ここでも適いませんでした。卒業後は、ハーバード・ビジネス・スクールの教授たちが興したコンサルティングファーム、モニターカンパニー(現・モニターグループ)のケンブリッジ本社に就職して、主にアメリカの大手企業の戦略策定の仕事をしました。

そして1年ぐらい経つと、今度は東京オフィスを開こうということになって、何人かのメンバーで日本に戻り、またまたコンサルタントをするわけです。

既にお気づきかと思うのですが、30歳の誕生日の朝に実業家になろうと志し、冒険の旅路に出たものの、私は、なかなか最後の1歩を踏み出せず、グルグルとその周辺を回っていました。今にして思えば私にとって、ゼロから事業を立ち上げるというのは、物凄く勇気がいることだったのです。だから、周辺から、憧れは強く抱きながら、何かチャンスはないものかと待っていました。自身の内側からの発露として具体的な事業を想起する方法論が見えなかったために、身を置く場を変えることで、どこからかラッキーな出会いや思いつきが降ってくるのではないかと、どこか受身の姿勢で時間を過ごしていた。これは反省を込めて思います。

しかも、この頃になると社内でのポジションや給料も上がっており、「もう、これでいいんじゃないか」、「決して悪くないぞ、この人生も」などと思い始めるんですね。ただ、そんなときは必ず、もう1人の自分が出てきて、「おい、ちょっと待て。なぜあのとき、積水化学を辞めてまで、この道を選んだのか」と問いかけてきました。
結果、「これでいいんじゃないか」と流される可能性に危機感を覚え、「事業プランは決まっていないけれど、とにかく会社に辞めると言ってしまおう」と決めました。

モニターカンパニーの社長に「12カ月以内に会社を辞めて自分の事業を興すので、後任の選定などをやりましょう。時間の半分を事業探索に使いたいので、その代わりとして給料も下げてほしい」と、願い入れたのです。しかし、彼は非常に寛容な人で、「給料なんかいい。やりたいことがあれば、やっていい。ただ、事業を立ち上げる際は私にも投資させなさい。そういう条件で始めなさい」と、言ってくれた。これには、とても感激しました。ただ、「どういう事業になるか分からないから、とにかく給料だけは減らしてください」と、返事をしました。

国内初・規制緩和を狙い、三つの事業を創造

そうやって相当な時間の自由を貰い、コンサルタンティング業務の傍ら、真剣に事業探索をしました。色々と検討したなかで、最初に立ち上げたのは、メリディアンVATリクレイムジャパン(現・メリディアン)という、法人を対象に(この対象は後にヨーロッパだけではなくなったのですが)ヨーロッパ付加価値税の回収サービスを提供する会社です。

日本の消費税と同じコンセプトの付加価値税というものを導入している国で経済活動をすると、そこにあまねく15~20%という高率の付加価値税が課されます。ただ、付加価値税は最終消費者だけが支払えばいいので、中間の企業というのは支払いの必要はありません。手順としては消費税と同様、売り上げにかかる税額から仕入れにかかる税額を相殺して、年度末に処理をするということになっています。

しかしヨーロッパ国外の企業がヨーロッパで経済活動をする場合、税金を払うばかりで、相殺する“入り”の付加価値税がないので、払いっぱなしになるんですね。これを各国の政府に請求をすると返してもらえるという仕組みになっています。これは1989年にECの税法が変わり、可能となったのですが、ただ彼らからすれば、それを積極的にプロモーションすると税収が減ずるため、「なるべく周知されないといいなぁ」「請求して来なければいいなぁ」と思っていたわけです。

ところが、ベイン時代の同僚で、後に私のパートナーとなるリチャード(・フォルソム氏、アドバンテッジパートナーズ共同代表)が、どこからかそれを聞きつけてきて、海外で積極的に活動している日本企業50社にインタビューをした。そこで、誰も付加価値税還付の存在を知らないことが分かり、これは相当、大きなビジネスになるのではないかと踏んだのです。

そこで、とある投資家グループとの共同出資でオペレーションを始めました。初年度から世界30カ国でオフィスを開き、アイルランドにオペレーションセンターも開設、一気に市場のリーダーになってしまった。とてもニッチな市場だったのですが、世界のシェアのほぼ9割を取りました。この会社は8年前にナスダック上場の米国企業に売却し、私自身は事業から手を引いています。

次に立ち上げたのが、アドバンテッジリスクマネジメント。これは、団体向けの長期障害所得保障保険を提供する会社です。長期障害所得保障保険というのは、従業員が病気やケガによって就業できなくなった際の所得を保障するもので、現在では福利厚生の一環として多くの企業に導入されています。

コンサルタント時代に金融機関の内側を見る機会があり、規制に守られた保険業界というのは、参入が難しい反面、ひとたび内側に入ると安定して高い収益性を確保できることを認識していました。このため、何か新しい保険商品があれば、先行他社との差なく戦えるだろうと考えていたのですが、そんな折、「アメリカのユナムという保険会社が、団体長期障害所得保障保険という新しい保険商品の認可を日本で取り、営業を始めた」という小さな新聞記事が目に留まったのです。すぐに電話をして、「あなたの会社の代理店になりたい」とオファーをしました。そして、夜間に専門の学校に通って保険の勉強をし、保険代理店資格を取得して数人でオペレーションを開始しました。この会社は一昨年、ヘラクレスに上場しています。

これら2社のオペレーションをしながら、実は私はとある規制の緩和を待っていました。PE投資を始めようと1992年に会社設立したにも関わらず、独占禁止法の関係で、金融投資を目的にして特定企業の51%以上の所有権を獲得するということが法的に認められていませんでした。これが96年の独禁法改正で純粋持株会社が認められたことにより合法的に可能となり、97年に国内初のバイアウトファンドを組成。現在の事業に至ります。

私が立ち上げてきた三つの事業の共通点として、すべて私たちが日本初のプレーヤーであったこと、そして、この事業が世に出た背景には何らかの規制緩和があったことが上げられます。ECの税制に係るルールが変わった、新しい保険商品が日本で認可された、独禁法が改正された。こうした規制緩和によって新しい市場、事業が生まれたということです。

真のCI確立こそが経営者の責務

振り返り、MBAの宣伝をするわけではないですが、慶應のビジネススクールやハーバードで学んだ経験がなければ今日の私はないと思っています。これら専門大学院では、特定の領域について集中的に学び、その世界で生きるために必要な基本的知識やスキル、あるいはモノの考え方を習得できます。

その文脈においてMBAは、企業経営者を創出するプロフェッショナルスクールであるべきと、私は考えています。私自身もそうでしたが、MBAを取得した多くの人が経営コンサルタントやインベストバンカーといったプロフェッショナルとしてのキャリアを選びます。また、事業会社に戻り、年功序列のキャリアを歩む人も多く見られます。しかし、そもそもビジネススクールというのは企業経営者を育てる専門大学院なのです。私はそう思っています。ですから、自身の学生―10年にわたり慶應ビジネススクールで「事業プロセス論」を教えてきた―には、「どんなパスを通ってもいい。ただ、せっかくビジネススクールに来て学んだのだから、とにかく社長になることを考えてほしい」と話してきました。

では、経営者というのは何をする役割なのか。私なりのまとめでは、残念ながらいかなるリーダーシップを持っていても、経済環境までは変えられません。この決して変えられぬ外的要因に対し、どれだけ上手く対応するか。これについては、企業理念から経営戦略、オペレーションに至る全てが、経営者によってコントロール可能な要素であるという風に捉えています。

企業理念を作り、目標を立て、その目標実現のための企業全体の戦略、あるいは各事業部の個別の戦略、その戦略を実行するための組織の形態を考えて、日常業務を管理し、経営成果に結びつける。これがまさに企業経営そのものであると思います。もちろん、企業の成長ステージによって経営者のカバー範囲は変わっていくでしょう。事業を始めるときは全てを行っていたものが、組織が大きくなるにつれ、色々な機能を社員に委ねられるようになっていく。

突き詰めると、企業経営者が是が非でも果たさなければならぬ役割とは、企業理念を作り、目標を立て、真の意味でのコーポレートアイデンティティ(以下、CI)を確立することと考えています。

CIは1970年代に日本に入ってきた概念ですが、企業のロゴをどうするかだとか、色をどうするかといったビジュアル的なことというふうに誤解されてきているように思います。私の考えるCIとはそうした表層的なことではありません。企業理念から経営成果に至るまでの全ての管理要素がなんらか一つの軸で貫かれている。貫かれた時に、その企業が社会に醸し出すある共通のイメージ、これをCIと呼ぶのだと勝手に定義をしています。

どこかにズレが生じると、経営自体が上手くいかないし、何かその会社のイメージがはっきりしなくなる。そういった事象が起きているときに、一体、どこがズレているんだろうか、ということをしっかりと解析していきますと、そこで企業の活動の修正ができる。

ビジネススクールでは、企業経営者としてあるべき管理項目は何なのかということを学んだつもりです。新しく学んだ内容もあれば、それまでの業務の延長線上にあるものを体系的に理解しなおしたものもありました。ただ究極、ビジネススクールで学べたことを一つ申し上げると、それは企業経営における倫理性ではないかと思います。実業の世界で活動をしていると、ともすれば倫理と利益が相反し、コンプライアンス上、問題になることにもチャレンジしてしまいそうになる。しかし、企業が活動の有機体として生き永らえるために、やはり基本になるのは倫理観であると、それを胸に刻みました。

笹沼氏×グロービス経営大学院学長・堀義人の対談

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堀:笹沼さんは、マチュアな経営者というイメージを持っているのですが、笹沼さんの考えている理想的なリーダーシップスタイル、あるいは笹沼さんの実践したいリーダーシップスタイルとは、どのようなものですか。

笹沼:リーダーシップスタイルというのは、演じられるものではありません。本来の性格が大きく影響して、演じたりしてもすぐに化けの皮が剥がれてしまいます。
私の場合は、リーダーシップの対象となる人や組織、全てのステークホルダーに対して、「あなた方の利益のことをきちんと考えている。そして共に良くなりたいんだ」ということを伝えたい。全関係者がWIN-WINの関係になれるように、どれだけ多くの人のことを慮りながらコミュニケートできるかが一つのポイントになっています。

堀:私は、人をいかに喚起させるかということばかりを考えています。情熱に火をつけて―グロービスでは、「個の爆発」と呼ぶのですが―そのエネルギーをうまい具合に調整しながら前へ進めていく感じです。そのため、“管理”を最小化することを明確に理念に掲げていますが、本日のお話から、笹沼さんは、より具体的な管理の方法論を取り入れていらっしゃるように思いました。

笹沼:そうですね。私はビジネススクールで学んだことをできるだけ直接、生かそうとしています。全ての項目に関して、自分もしくは組織の誰かが、抜け漏れなく管理しているかをチェックするようにしています。

堀:それは、もしかしたらベンチャーキャピタルと、バイアウトファームの違いかとも思いました。グロービスは、ベンチャーキャピタルを運営していますが、アーリーステージの経営者というのは良くも悪くも破天荒な人が多く、そうした詳細な管理を嫌うのです。成長段階的にも、まだまだ売り上げ目標の達成が先に立ちますから、とにかく「営業に走れ!」となって、管理は最後。後から経理担当者から数字を見せてもらって、「なるほどそうか」という感じでやらざるを得ません。業態の違いが、スタイルの違いに表れるのだな、と思いながら今日はお話を伺っていました。

笹沼:そうかもしれませんね。後は、投資先の状態によっても変わってきますね。明確な戦略目標もないままにダメになっていった企業もあれば、実行段階で細かなオペレーション管理に失敗している企業もあります。それぞれ強み、弱みが異なりますので、注力する管理項目も変わってきます。

堀:面白いですね。ベンチャーキャピタルの場合は、ほとんど「人」の要素が大きいんです。クリエイティビティーと強い情熱を携えて、他人からは不可能と言われるようなことに突進していく。そういった人がいる会社が多い一方で、調整型の会社は少ない。

ところで笹沼さんご自身から見て、アドバンテッジパートナーズが日本随一のバイアウトファームに大成した要因は何だったと思われますか。

 

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笹沼:成功というのは過分な褒め言葉で、私たちは、なんとか10年間は生き残ってこられた、と受け止めています。褒めていただいたので私なりの理解を言うと、一つは、共同創業者であり共同経営者であるリチャード・フォルソムとの非常に強固なパートナーシップ。もう一つは、2人で築き上げたミッションステイトメント、それを愚直なまでに各社員と共有しながら、「とにかく、これに沿って活動しよう」と徹底してきた。その二つかと思います。

堀:ミッションは多くの会社が掲げていて、中身の崇高さに大きな差異はないと思いますし、点数を付けるのは無粋です。肝心なのは、それをどれだけ浸透できているかだと思うのですが、アドバンテッジパートナーズでの方法論を教えていただけますか。

笹沼:まず、採用時にビジョンやミッションの説明をします。応募してくださるのは、きらびやかな経歴の方々ばかりですが、だからと言って全員が当社で成功できるかというと、そんなことはない。この差異を分けるのが、やはり基本的な価値観を我々と共有できているか否かなのです。

ですから、採用面接では、「あなたは我々の理念に共感できる人なのか」とオープンに話し合うようにしています。中には「少し違う。私はもっとお金儲けがしたい」という方もいらっしゃる。そういう方は自分の利益ありきで投資先と対峙するのだろうなと想像すると、当社で採用するのは難しいですね。

もう一つは研修です。年に何度も社員研修を設け、理念について繰り返し説明しています。

当社のミッションステイトメントは何か本などから取ってきた文言ではなく、リチャードと二人、創業5年ぐらいの時に作りました。この当時、組織に、ちょっとした危機的状況があったのです。創業者である私たち二人の考えと全く違う方向に組織が一つの有機体として進んでしまう。それを防ぐ意味から、いま一度、皆の方向性を揃える思想体系を作ろうと、強烈な問題意識を持って作ったものです。これが、うまく受け入れられ、形だけではなく行動指針として機能しています。

もし時間を戻して私が積水化学で部課長クラスに就任したとしたら、課を運営するためのミッションステイトメントを作り、「自分が課長でいる間は、これを指針に活動してくれ」と呼びかけると思います。この方法は皆さんにお勧めしたいですね。

堀:なるほど。アドバンテッジパートナーズに入社される方というのは、どういったバックグラウンドの方が多いのですか。

笹沼:コンサルティングファーム出身、MBAを取得した人が多いですね。買収投資のリターンを上げる手法は幾つかありますが、企業そのものが良くなることが一番です。つまり、ビジョンを明確にして、そのビジョンを実現するための具体的な戦略を描き、オペレーションが適切に回る状態を作り出す。そうした企業変革に適した技術を持つ人と考えると、やはり経営コンサルタントが中心になりますね。

堀:現在、何名でやっていらっしゃるのですか。

笹沼:私とリチャードを除いて7名です。

堀:現在、バイアウトファームが非常に増えてきていています。オークションを通じて企業を買い、売るときもオークションを通じて売るとなると、差別化が難しいですね。

笹沼:それは日々、悩みながらやっています。
一つ言えるのは、バイアウトに従事する人は、共通の習性として直接競争を嫌います。例えば事業会社であれば、先般も次世代DVDの規格競争が話題に上りましたが、どちらかが潰れるまで徹底的な競争をすることも辞さない。敗者だけではなく、勝者もが過大な開発投資によって収益性を悪化させ、疲弊していくケースが散見されます。

他方、バイアウトファームの人間というのは、そうした競争に入っていくこと自体が自社、或いは投資先の収益を悪化させ、リターンを削っていくことが分かっているので、可能な限り独自のポジションを取って、すみ分けようとするんです。
従って自身のファンドについても、ダイレクトな価格競争は避け、業種・業界、テーマなど投資先となるセグメントを区切り、何らかの形ですみ分けていこうという意思が相互に働いているようには思います。「ダメになった会社を良くします」ということを標榜するファームもあれば、健常な会社を、もっと伸ばすことに注力するファームもある、巨大案件だけをやります、というところもあります。

堀:方法論にも差異が見られますね。例えばアドバンテッジパートナーズは、投資先のトップを変えることが多いように見えますが・・・。

笹沼:実は、既存の経営陣のままいくケースが半分以上なんです。トップを支えるために必要なスキルセットを持った人が足りないと判断した場合には、CFOなど担当役員を紹介することはあります。

堀:そうした人材は、どのようにして選ぶのですか。

笹沼:スキルセットとパーソナリティという二つの軸で見ています。経営コンサルタント出身者の多いファームの特性かもしれませんが、投資先の経営課題をこれ以上は細分化できないというところまで精緻に分解していくと、必要な変革リーダーのスキルセットというものが非常にクリアに見えてくるのです。例えば、マーケティングの課題を我々が分析すると、「(物流にテコ入れをしたいので)1970年代に、大手消費財メーカーの××で、物流網構築に関係したマーケティングマネジャーが欲しい」というレベルでスキルを特定できる。するとサーチファームからも極めて角度の高い方が候補者として上がってきます。この分析が雑だと、「誰か優秀なマーケティングマネジャーを探して欲しい」と、必要な課題解決を全く満たさない人材を探しに行ってしまうことになります。

堀:ダイエーの再生時に、樋口(泰行・マイクロソフト代表執行役兼COO)さんを選ばれたのは何故ですか。樋口さんは、日本ヒューレット・パッカードなどIT系のバックグラウンドを持つ経営者ですから、完全なる異業種からの抜擢だったわけですよね。

笹沼:ダイエーの経営課題は、業種の専門性で解決できるものではなく、経営の専門性で解決していくべきものでしたから。もしそれが業種の専門性に関わる課題であれば、1万人いるダイエー社員の中から選抜したでしょう。ただ、そうした流通業に精通した人を持ってしても全く抗えなかったような業績悪化や組織荒廃の原因があるとすると、それは企業経営の専門性の課題だろうと考えたわけです。

もう一つは、組織も抱えている課題もあまりに巨大だったので、一人の変革リーダーに任せるのではなく、複数のリーダーを束ねたチームで補完しようと考えました。それで会長兼CEOに就任いただいたのが、当時ビー・エム・ダブリュー東京の社長だった林文子さんです。

ダイエーの顧客の6~7割は女性。従業員5万人のうち4万人は女性のパートタイマー、1万人の正社員の相当数も女性です。であれば、その女性たちに、「経営がきちんとしたものに変わりますよ」というメッセージを発信しなければならない。その役割は、同じ女性に担ってもらうほうが響くであろうと考えたのです。

質疑応答:感謝の気持ちを忘れない

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堀:ありがとうございました。ここからは会場にもマイクを回しましょう。

会場:失敗をした経験というのはあるのでしょうか。

笹沼:失敗はあります。今まで27件の投資をしていますが、比率で言えば7勝2敗1引き分けといったところです。それなりにリターンが出れば勝ち、引き分けはリターンが出なかったけれど元本を回収できた、負けは何らかのキャピタルロスがあったということです。

失敗の理由は、投資する時点での評価の誤りに尽きます。何らか利益が出ている、キャッシュフローがあるといった、静態的なプロフィールで投資をしてしまい、その後の市場環境変化に対応できず、収益が悪化してしまった。ですから、動態的に将来を見ること、とりわけ、その企業が属している業界自体はどのように変化していくのだろうかという外部環境に注意を払わなければなりません。

会場:私の会社は現在の業績は良いのですが、長期の方向性が見えていません。このまま行くと、業績は先細りすると思うのですが、企業理念というのは、どういったフェーズで再構築するのが最適なのでしょうか。

笹沼:まず企業理念と経営目標は違うものですね。企業理念というのは、日常の判断をする、行動を決めるときの規範となるべき一つの思想体系であると思います。それは永続性があり、普遍的なものです。ただ、長い時間を経て外部環境が大きく変わると、理念そのものが会社の成長に整合しなくなることはある。そうしたときに経営者は強い危機意識を持って、企業理念の変革に取り組まなければなりません。私とリチャードは、極めて頻繁に企業理念の有効性を自問しながら仕事を進めています。先ほど紹介したミッションステイトメントとは別に、投資事業に関する理念も作りました。これは投資案件ごとにリスクが異なるため、これと対峙するための補完的な行動指針です。

会場:アドバンテッジパートナーズのミッションステイトメントに、「顧客への献身」というものがあります。ここで言われる顧客は、投資家ですか、或いは投資先企業ですか。また、「協力者への敬意と感謝」とも明記されていますが、顧客と協力者はどうのように関連するのですか。

笹沼:ミッションステイトメントにある「顧客」は、一義的には投資家のことです。彼らが巨額の資金をコミットしてくださっているからこそ、事業が成り立っています。仮に私が無駄な1時間を過ごせば、それはお客様のお金を捨てているのと同義です。社員一同がその意識を持ち、1分1秒を無駄にしないように、効率のいい仕事の仕方をしよう。また、「自分らしい仕事をしたい」「お金持ちになりたい」という前に、まずは自分たちを信じてくれたお客様にリターンをお返しすることを目標に頑張ろう、それを成し得た後にフィーをいただこうと、そういう意味を込めています。

それから「協力者」という部分ですが、こちらは広範に及びます。例えば私が最初の会社を立ち上げた時というのは、コピー機を借りるのすら容易ではありませんでした。何社もあたった後に大塚商会さんが、ようやく与信をつけてくださって、コピー機と電話機が借りられた。私はもう涙が出るほど嬉しかったんです。これはただ単に大塚商会さんという企業が私に与信をしてくれたという話ではなく、担当者の方がサラリーマンリスクをとって社内稟議を通してくださった。そうした業者さんとも会社が大きくなったり、慣れてきたりすると、「俺は客、あんたは業者」という気持ちになりがちですが、そういう考え方をするのは止めようと。自分たちの事業を支えてくださっている協力者という気持ちで接しようと社員にもお願いしているのです。私たち全員がそうした気持ちを態度に示し続けることで、社会善を求める存在であることがコーポレートアイデンティティとなって伝わると信じています。もちろん正直に言えば、私の中にも奢りの気持ちが出てくることはあります。ただ、そうした時、「ちょっと待て、誰のおかげで事業が始められたのか」などと、自ら書いたミッションステイトメントに立ち返るようにしています。

「協力者」という定義の中には、家族・友人というのも明記しています。企業再生というのは非常に
ヒロイックな気持ちになりがちな仕事なんです。失敗すれば悲劇のヒーロー、成功すれば各所で賞賛されるヒーローですから。私自身、「社会的に凄いことをしているのだから、家族が私のことを理解して付いてこなければいけない」というように傍若無人に振舞うようになってしまったんですね。しかし冷静に考えれば、私は自分が好きでこうした事業をやっているわけであって、家族や友人を犠牲にする理由にはならない。だから、家族との時間もきちんと作ろう、子供の勉強も見よう、スキーにも行こう。なかば義務的にやっているところもありますが、可能な限り、そういう時間を作ろうとしています。ですから、昼間も仕事、夜も仕事みたいな感じでなかなか休まらないんです(笑)。でも、そのぐらい意識を持たないと、特に日本社会においては、「働いて養ってやっているんだから、お前たちは犠牲者となれ」というような気持ちが芽生えがちじゃないですか。

会場:笹沼さんのモチベーションドライバーは何でしょうか。

笹沼:この15年間、高いモチベーションを持ってやってきました。30歳の時に実業家になりたいと思って会社を辞めて、事業を立ち上げ、夢が叶った。程度の問題はありますけれど、私は夢が叶えられた幸運な男なんです。その運命に感謝しているので、何としても成功させて、自分も豊かになりたいし、社会的にきちんと機能を果たす事業を立ち上げたのだという認知も得たい。そして、私がリチャードが漕ぎ出した、このどうなるか分からない冒険の船に乗ってくれた船員たちを、絶対に幸せにしたいという気持ちがあります。たぶん我々のファームは、投資から得た利益を創業者以外のメンバーに最も多く配分している会社だと思います。これはある調査から統計的に分かっていることです。

堀:夢が叶ってしまったのですね。

笹沼:よりによってものすごくストレスフルな夢を選んでしまったとも思っているのが正直なところですね(笑)。バイアウトの世界って、きらびやかに見えて、その裏には強烈なプレッシャーがあってですね。巨額のお金を動かしているので、何かあったら大変なことになる。ただ自分が選んだ夢なので、何が何でも完遂させたいと思っています。

堀:ストレスをどうやってバネにしているのですか。

笹沼:私は結婚が遅くて、なかなか子供ができなかったのですが、最終的には双子が2組できちゃったんです。男女、男女。それがまだ4年生と1年生です。夜や週末、子供たちと一緒にワアワアやっている時間が、敢えて言えばストレス解消になっているかもしれませんね。

堀:それ大きいですよね。僕も子供5人いるから。

笹沼:お互いに少子化に貢献していますね。

堀:週末の方が忙しいですよね。

笹沼:そうですね(笑)。

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