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日本交通/JapanTaxi濱暢宏氏「オペレーションとテクノロジーの交差点で、サービスの可能性を追究する」

投稿日:2017/10/04更新日:2020/03/10

MBAの真価は取得した学位ではなく、「社会の創造と変革」を目指した現場での活躍にある――。グロービス経営大学院では、合宿型勉強会「あすか会議」の場で年に1回、卒業生の努力・功績を顕彰するために「グロービス アルムナイ・アワード」を授与している(受賞式の様子はこちら)。2017年、「変革部門」で受賞した日本交通株式会社・JapanTaxi株式会社の濱暢宏氏(グロービス経営大学院、2014年卒業)に、MBAの学びをどのように活かしたのか聞いた。(聞き手=橋田真弓子、文=滝啓輔

知見録: 受賞おめでとうございます。受賞の感想は?

濱: 最初は何かの手違いかと思った。日本交通の社長、知識賢治がかつてカネボウ化粧品社長時代に受賞したアワードを、この自分がいただいてよいのだろうか…。それが、正直な気持ちだった。

ただ、知識はもちろん、日本交通会長(兼JapanTaxi社長)の川鍋一朗も、「喜んで賞を受け取ってはどうか」と言ってくれた。2人のボスの言葉を受け、賞をお受けすることを決め、今はじわじわと喜びを噛みしめている。

4年前、京都で開催された「あすか会議」に参加したとき、壇上の受賞者は遠い存在に見えた。しかし、今回、自分のようなごく一般的な受講生が賞をいただいたことで、よい意味で、より身近な賞になったのではないか。この受賞が、グロービス経営大学院でがむしゃらに学ぶ後輩たちの励みになれば、とてもうれしい。

シャープで築いた「家電×サービス」というキャリア

知見録: まずはここまでの道のりを振り返ってほしい。

濱: 大学生のとき、ちょうどインターネットが普及しはじめた。素人でもHTMLを使って、簡単なサイトをつくれるようになった時代だ。

当時、東北大の学生だった自分は仙台に住んでいたが、仙台が「日本三大不美人都市」の1つに挙げられているのが解せなかった。仙台にも美人はたくさんいることを証明したい、という安易で無邪気な動機から、「仙台のミスを探せ」というミスコンサイトをつくった。街行く美人をデジカメで撮影してプロフィールと共にアップするというものだ。

すると、大学の研究室のサーバーが落ちるくらい、世界中からアクセスが集まり、インターネットサービスの威力を思い知った。自分も将来は何かサービスに関わりたい。そう思った、原点とも言える体験だ。

知見録: その後、シャープに入社した。

濱: 卒業後の進路選びには、親父の影響が大きかった。親父は自動車や新幹線に使われている特殊鋼のメーカーに勤めていて、自分も後を追うようにメーカーを選んだ。中でもシャープに決めたのは、斬新な製品を世に送り出す楽しそうな会社というイメージが強かったからだ。

入社してすぐ、カラー液晶・カメラ付き携帯電話の事業に携わった。メールに写真を添付するのは今では当たり前の光景だが、その先駆けとなる「写メール」というサービスを通信キャリア会社と創り上げた。

その後もずっと、「ものづくりを通じたコトづくり」と言えるようなキャリアを重ねていった。言い換えると、「家電×サービス」。たとえば、「アクオス×サービス」で通信と放送の融合に挑んだり、「電子書籍専用端末×サービス」がGALAPAGOSという形で読書スタイルを提案してきた。

2012年、シャープが巨額の営業赤字に転落した。入学の際にセクション(※成長を支援し合う30~40人単位の同期コミュニティ)のスピーチでも話したが、自分が非連続で成長していかないと、苦境にあるシャープを立て直すことはできない。それがグロービスの門を叩いた理由だ。

グロービスがもたらした運命的な出会い

知見録: グロービスへの入学が、川鍋さんとの出会いにつながったとか。

濱: 直接のきっかけは「顧客インサイトとブランディング」という科目を受けたことだった。実在の企業の事例を研究するグループワークがあり、自分がいたチームは日本交通の「キッズタクシー(子供の学校・塾・自宅間の送迎を行なうサービス)」をテーマに選んだ。タクシー会社がいわゆる「STP」、顧客のセグメンテーションとターゲティング、自社のポジショニングを徹底していることに感銘を受け、実際に利用している顧客にもインタビューを行なった。

当時、日本交通社長だった川鍋を知る者がチームにいて、後日、グループワークの成果を直接プレゼンする機会を得た。それが後にボスとなる川鍋との最初の出会いだ。若くて、すごくポジティブでテンションも高い、というのが初対面の印象。世の中にはこういう経営者もいるのかと驚かされた。

シャープの社長は年に1、2度、テレビ会議を通じて見られるかどうかの遠い存在。しかし、川鍋は非常にフレンドリーで、食事にも誘ってくれた。「あなたたちのようにビジネススクールに通う人間を大企業でも求めているだろうが、小さな会社でも実はそういう人材を切実に求めている。小さな会社だからこそ、仕事のアウトプットの機会や成長機会が多い」ということなど、熱く語ってくれたのを覚えている。

シャープを立て直したいという気持ちからグロービスに入学したが、学ぶ中で多くの経営者との接点を通じて「世界は広い」と思うようになっていた。そして、グロービスでの学びを存分に発揮してみたい、とも考えるようになっていた。

知見録: 川鍋さんに会ってすぐ転職を決めたのか?

濱: その前に、自分の中で決着をつけたい問題があった。それが、先ほども話した親父の影響だ。特殊鋼メーカーで役員まで上り詰め、その後2つの子会社に出向し、それぞれをV字回復させた。そんなキャリアを歩んだ親父を尊敬するがあまり、畏敬の念で自分が縛られているように思うこともあった。

それを打破できたのは、今はないが、「ストラテジック・インプリメンテ―ション」というクラスのおかげだ。身近な「変革者」を1人選んで、その人がどうして変革できたのかを研究する課題があり、自分は研究対象に親父を選んだ。

いい機会だから、それまであまり聞けなかった話もたくさん聞いた。親父が何を大事にしてきたのかという価値観を探り、必要に応じて昔の資料や記録も全部見せてもらった。

結局、そこで出した答えが、「親父は親父、自分は自分」「自分は自分らしく、自分の進みたい道を、自分の足で歩いてゆこう」ということ。

親父がすごいのは、もちろん疑いようがないことだ。しかし、親父は、彼の生きた時代に、自身の価値観や縁を生かして、メーカーの仕事を選んだわけで。自分までもが、それをなぞるようにしてメーカーにい続ける必要はない、と吹っ切れた。

知見録: タクシー業界自体に興味はあったのか?

濱: 最初はあまり興味はなかった(笑)。グロービスに通う中で気づいたのは、タクシー会社は「車×サービス」という事業を営んでいるということ。その意味では、家電が車に変わっただけだ。大学生のときに夢見たサービスの可能性を、タクシー業界で追究するということに、自分の中では違和感はなかった。

「終身雇用を前提とした安定した大企業」を離れることに対しては、不安と恐怖が少なからずつきまとっていた。ただ、そのころ、グロービスで学んだ同期が、転職や起業などどんどん新たなステージに進んでいったこともあり、彼らにもだいぶ背中を押された。勇気を出して、自分らしく、新たな道に進んでいくことを決めた。

このように、2つの科目を通していろいろ考える機会があり、転職を決意。卒業式の間際に、川鍋に連絡を入れた。

問題解決を重ねて築いたパワーの基盤

濱: 日本交通に入社し、同時にJapanTaxiにも所属した。当時、JapanTaxiは日交データサービスという社名で、日本交通の部長と日交データのプロジェクトマネージャーの兼務だった。36歳のときだ。

30代の部長は珍しく、他は40-50代の部長ばかりだった。電機メーカーから、何ができるかもよくわからない人間が転職してきた。正直、他の者からすれば、お手並み拝見といったところだったろう。自分自身も、謙虚に、かつ積極的に動き、結果を出す必要を感じていた。

そんな状況で、スマホの配車アプリで、なりすましなどのセキュリティ問題が多発していることを知った。そこで、SMSを使った認証機能を自社アプリに導入しようと提案し、川鍋の承認を受け、採用された。すると、実際になりすましは激減。そういう実際的で具体的な成果を出していくことで、社内での信頼を少しずつ築くことができた。

グロービスで学んだ「パワーと影響力」になぞらえて言えば、パワー基盤が整ってきたわけだ。最初は役職というポジションのパワーしかなかったのが、社内での問題解決を主導することで、リレーションのパワーも得られるようになった。

見ている人は見ている。みなを巻き込んで問題解決を重ねることで、さらにいろいろな仕事を任されるようになった。

知見録: 主にどういった仕事をしていたのか?

濱: まず川鍋から、日本交通の無線センター長の仕事を任された。実務の中で、マネジメント能力がどれだけあるかを見られていたのだと思う。

当時のコールセンターは正直、閑職に近いところがあって、従業員のモチベーションが高いとは言えなかった。トラブルがあっても、お互い責任をなすりつけ合うような環境だ。そんな人間関係を、からまった紐をほぐすように、ていねいに解きほぐすのが自分の仕事だった。みんなが目指すべき目標を掲げ、少しずつ雰囲気を改善して、コールセンターの配車数を東京No.1にすることができた。

知見録: そもそも、それまでにマネジメントの経験はあったのか?

濱: シャープのときは管理職ではなく、3、4人のチームのリーダーの経験しかなかった。それでも、自分なりにマネジメントができたのは、きっと親父のおかげだろう。親父にはよく仕事の話を聞いていた。とくに独身時代、お互い近所に住んでいたので、年がら年中、飲んでアドバイスをもらった。

マネジメントについても、親父からリアルな体験談を聞き、そこで学んだポイントを、自分なりにアレンジして実践した。うまくいったことも、うまくいかないことも多かった。うまくいかなかったことはその次に軌道修正。その繰り返しだ。

オペレーションとテクノロジーの架け橋へ

知見録: 最近、日本交通の経営企画部長にもなられたとか。

濱: 今年の7月に日本交通に経営企画部ができ、そこの部長も務めている。経緯として、そもそも、2015年の10月に知識が社長に就任。彼がコールセンター部門を重要視しており、あれこれ改善を繰り返してきた。

それまで、川鍋にもいろいろな要求をされたが、知識の要求はまた違った。川鍋は結果重視だが、知識はドキュメントだったり分析だったり、要はプロセス、課題解決の汎用性・再現性を求めてくる。自分も一生懸命それに応えることで、信頼を得てきた。それが今回の人事につながっているのかもしれない。

知識は、就任後たった1年間で、全関連会社の黒字化を達成、売上高・営業利益を大幅に増加したプロ経営者だ。カネボウ、テイクアンドギヴ・ニーズ、日本交通をことごとく立て直してきた彼の経営哲学を、残さず自分の中にインストールして、結果を出したいと考えている。

知見録: 日本交通グループの新たなチャレンジを、ニュースでよく目にする。

濱: 最近、東京23区を中心に実証実験を始めた、事前確定運賃サービスというものがある。3000円以上のルートであれば、配車アプリを使うことで、あらかじめ料金を算出してくれる。同じルートであっても、乗務員によって価格に差が出るという不満を解消するのが目的だ。

ライドシェアの普及が予想される将来を前に、規制に守られじっとしているだけでなく、攻めに転じることがタクシー業界には必要だ。国土交通省にも後押しされ、いろいろな施策を行なっているが、これもその1つだ。

日本交通グループはオペレーションとテクノロジーを組み合わせて「移動で人を幸せに」することをビジョンに掲げている。オペレーションを極めていくのが日本交通、テクノロジーを生み出していくのがJapanTaxi。

両社に所属している自分は、ちょうどその交差点にいる存在だ。タクシー業界とIT業界、文化も年齢層も言語も異なる2つの業界の2つの会社だが、その架け橋の役割も引き続き果たしていき、「移動で人を幸せに」する未来に向けて変革を進めていきたい。

グロービス アルムナイ・アワード2017 「変革部門」受賞理由

濱暢宏氏は、日本交通株式会社の無線センター長として、オペレーションとテクノロジーを組み合わせ、業務プロセスの変革を推進。電話が繋がらない問題を劇的に解消し、2017年2月には日本交通史上初の東京No.1配車を達成した。また、JapanTaxi株式会社では、「全国タクシー」の事業責任者として、全国4万台のタクシーのネットワーク化を実現。さらに、トヨタ自動車系の未来創生ファンドから資金を調達。自動運転時代を見据え、タクシー業界を新たなステージに牽引していく取り組みが注目を集める。歴史あるタクシーという市場に対してITを用いてイノベーションを推進し、業界の発展と「移動で人を幸せにする」という志の実現のため、日々邁進する姿は多くの人を魅了している。

グロービス・アルムナイ・アワードとは >>
 

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