起業のきっかけは下町おかん
学生の頃、ベビーシッターをしていた私の母が、沈んだ調子で私に電話をかけてきたことがあります。母はいわゆる東京の「下町おかん」で、いつも元気なのですが、その日に限って元気がない。理由を聞くと、「私のお気に入りのお客さん……、双子のママなんだけど、その方がいきなり『今日で最後にしてください』って言うのよ」とのことでした。
母は何かミスをしてしまったと思い、その点を尋ねたそうですが、「単に私が会社に解雇されてしまったので、もうシッターさんにお世話いただく必要がなくなっちゃっただけです」というのです。
母はその理由も聞いたそうです。すると、子供が熱を出してしまったのですが、通っている保育園は37度5分以上の子は預かってくれないとのこと。だからご自身で会社を休んで看病していたのですが、双子ちゃんだったのでお互いに風邪を移しあってしまい、割と長い間会社を休まざるを得なくなってしまっていたそうです。そのことに勤め先が激怒し、「事実上解雇になってしまった」ということでした。
不思議な気分になりました。子供が熱を出すのは珍しくないし、それを親が看病するのも当たり前のこと。それで母に、「おかしいんじゃないの。お母さんが預かってあげれば?」と言いました。しかし、看てあげたくてもベビーシッター会社も行政のベビーシッターサービスも、熱を出した子供を預かるという「病児保育」は絶対にやってはならない、という規則があると、母は言います。
「なら僕が小さかった頃はどうしてたの?ベビーシッターになる前は自営業で働いてたでしょ?」と食い下がったら、「何を言ってるの。あんたにはマツナガのおばちゃんがいたじゃないの。忘れたの?」と、逆に怒られてしまいました。
私は東京の下町生まれです。我が家は団地の14階に住んでいたのですが、同じ団地の3階下に「マツナガのおばちゃん」と呼んでいた女性が住んでいました。おばちゃんといっても血の繋がりはなかったのですが、その方が、病めるときも健やかなときも私を預かってくださっていたんです。おかげで母は外で働くことができていた訳です。
その話を思い出し、「今の時代もうマツナガのおばちゃんのような存在はいないんだな」と。比較的コミュニティが残っている下町ですら、地域の子供の子育てに手を差し伸べ肩を貸す、そんな営みが失われてしまっていたんです。
強い違和感を覚えました。自分を育んでくれた環境が崩れているという感覚です。古い時代の下町をそのまま復興することは無理でも、新しい繋がりを作り、空洞化した地域を新生させることは出来ます。その繋がりがあれば、病児保育問題は解決出来るのではないかと思い、勝手に使命感に打たれ、「よし、俺はやるんだ!」と決めました。
そして、現在に到るNPOを立ち上げたのが6年前です。




