人生はただ1度きり阪神大震災を機に起業を決意
三木谷氏は、一橋大学商学部を卒業後、1988年に日本興業銀行に入行。社内留学制度を活用して1991年より米国Harvard Business School(以下HBS)に学び、1993年にMBAを取得した。その後、1996年にコンサルティング会社のクリムゾングループ、1997年に楽天の前身となるエム・ディー・エムを設立。それから、わずか10年足らずで、時価総額1兆円を超える楽天グループを育て上げた。
三木谷氏が自らビジネスを興す原点となったのは、米国留学中に触れた「アントレプレナーシップ(起業家精神)」に対する社会的評価の高さだったという。「私がMBA留学していた1990年代前半の日本では、ベンチャー、アントレプレナーシップといった言葉はまだ一般的ではなく、自分も含め、多くの人が、大企業に勤めてそこで出世していくのがビジネスマンの王道と考えていた」。ところが米国では、「自ら起業することが優れたビジネスマンの王道であり、自分で起業できない人が既存の大企業に勤めるという空気すらあった」。そうした雰囲気の中に身を置いたことで、「自らも企業を立ち上げるのだという覚悟のようなものが育っていった」と、三木谷氏は述懐する。
MBA取得後の1993年、三木谷氏は「そうは言っても、社費で留学させてもらったわけだし、5年は辞められない」との覚悟を持って日本興業銀行に復職。しかし1995年、出身地である神戸が阪神大震災に見舞われ、知人・友人を幾人も失い、人生の短さとはかなさを実感したことから興銀に辞表を提出し、 1996年、起業家としての道を歩み始めた。
三木谷氏が自らビジネスを興す原点となったのは、米国留学中に触れた「アントレプレナーシップ(起業家精神)」に対する社会的評価の高さだったという。「私がMBA留学していた1990年代前半の日本では、ベンチャー、アントレプレナーシップといった言葉はまだ一般的ではなく、自分も含め、多くの人が、大企業に勤めてそこで出世していくのがビジネスマンの王道と考えていた」。ところが米国では、「自ら起業することが優れたビジネスマンの王道であり、自分で起業できない人が既存の大企業に勤めるという空気すらあった」。そうした雰囲気の中に身を置いたことで、「自らも企業を立ち上げるのだという覚悟のようなものが育っていった」と、三木谷氏は述懐する。
MBA取得後の1993年、三木谷氏は「そうは言っても、社費で留学させてもらったわけだし、5年は辞められない」との覚悟を持って日本興業銀行に復職。しかし1995年、出身地である神戸が阪神大震災に見舞われ、知人・友人を幾人も失い、人生の短さとはかなさを実感したことから興銀に辞表を提出し、 1996年、起業家としての道を歩み始めた。




