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「幸福を感じ取る器」は大きい方がよいか/小さい方がよいか

投稿日:2013/10/02更新日:2019/04/09

突然ですが、“哲分”補給問題です。今回は、問いに対する答えは、特に書きません。これは、幸福観をめぐる思索実験です。

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人はだれしも「幸福を感じ取る器」を内面にもっています。
その器は、高さ、深さ、広さ、鋭さから成っていて、人それぞれに大きさがあります。
さて、Sさんの「幸福を感じ取る器」の大きさは「2」です。
いま、「2」の量の幸福を感じています。
他方、Lさんの「幸福を感じ取る器」の大きさは「10」あり、
いま、「4」の量の幸福を感じています。
……このとき、2人のうちどちらが、より幸せなのでしょう?
あるいは、あなたはどちらの幸せ充足状態を望みますか?
つまり、器は小さくとも幸福充足度10割のSさんを望むか、
Lさんのように、幸福をより高く、深く、広く、鋭く感じる大きな器をもつものの、
4割しか満たされない状態を望むか……。

*               *               *

上のSさんとLさんの違いを、少し卑近な例で紹介しましょう。

たとえばS1さんはごく普通の大学1年生です。食べることにはどちらかというと無頓着で満腹になればそれでいいという育ち盛りの学生です。いま部活が終わり、街の定食屋で牛丼大盛りを平らげました。彼はその料理の味にも量にも十分に満足しています。他方、L1さんは40代のビジネスパーソンです。国内外の出張も頻繁にこなし、ところどころの有名なレストランで優れた料理をたくさん食べてきました。料理に関しては舌がすごく肥えていて、食の楽しみ方もさまざまに知っています。L1さんはある晩、評判のフレンチレストランに入り、コースディナーを食べました。決して悪くない料理ですが、彼にとっては「イマイチ」のレベルだったようです。さてこのとき、「食べることの幸福」からすると、S1さんとL1さんのどちらがより幸せなのでしょう?

次の卑近な例です。S2さんとL2さんが一緒に山歩きに出かけました。山のふもとから川や湖を見て回り、5合目まで登ってきてお昼ご飯にしました。山歩き初心者のS2さんは「もうこれで十分山を楽しめた」ということで、午後は早々に山を下りることにしました。他方、山歩きベテランのL2さんは、「山の魅力はこんなものではない。もっと上に行けばもっと素晴らしい眺めがあるし、登頂すれば爽快な達成感が得られる」ことを知っているので、午後もさらに上を目指しました。予想通り6合目の景色は5合目よりも雄大でした。ところがその後天候が急速に悪化し、7合目くらいで雨に降られ、下山を余儀なくされました。L2さんは登頂できず残念な様子です。さて、「山歩きの幸福」からすると、2人のうちどちらがより幸せなのでしょう?

もう1つ卑近な例をあげましょう。S3さんとL3さんは、同期入社の10年目社員です。S3さんは能力的には並みで担当業務をこつこつこなします。今期も何とか与えられた個人目標をクリアできたことに「やり切った感」を得ています。他方、L3さんは能力的に秀でており、新人のころから頭角を現して、いまではマネジャー職に就いています。これまでいくつものプロジェクトに加わり、仕事の面白みや醍醐味、同時に苦労や修羅場も知っています。今期任されたプロジェクトは難題で、チームをまとめきれなかったこともあり、成果も中途半端にしか出ませんでした。疲労感残るなか、「これも成長のためには大事な経験」と自分に言い聞かせています。さて、「仕事の幸福」からすると、どちらがより幸せなのでしょう?

思索を巡らせるプロセスこそが「哲学する」こと

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……以上、3つの例から、SさんとLさんの状況の違いのニュアンスを読み取れたでしょうか。では、冒頭の問いについて考えてみてください。また、以下に思索を深める材料を並べておきました。

この問いに対する答えは、ここでは特に書きません。おそらく百人考えれば、百様の答えが出てくるでしょう。あるいは、自分のなかでも答えが1つに収束しない場合も起こります。それはそれでいいのです。その思索を巡らせるプロセスこそが「哲学する」(=フィロソフィー=智を愛する)ことにほかなりません。哲学の目的は、必ずしも明解に答えを出すということにはありません。考える行為をする、考える作業を愛することが哲学の主目的です。

■思索や議論を深める材料
□「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」 ───『史記』
(えんじゃく いずくんぞ こうこく の こころざし を しらん や)
ツバメやスズメのような小さな鳥には、オオトリやクグイのような大きな鳥の志すところは理解できない、の意味。

□「満足した豚よりも不満足な人間、満足した愚か者よりも不満足なソクラテスであるべきだ」。 ───ジョン・スチュアート・ミル(英・哲学者)

□「知足者富」(足るを知る者は富めり) ───老子

□「鋭い者にとって、この世界は憂いに満ちており、
鈍い者にとって、身の周りは唄・酒・恋に満ちている」───(出典不明)

□サム・クックの歌った『ワンダフル・ワールド』 (1960年のヒット曲)を口ずさんでみましょう。

Don’t know much about history
Don’t know much biology
Don’t know much about a science book
Don’t know much about the French I took
But I do know that I love you
And I know that if you love me too
What a wonderful world this would be

Don’t know much about geography
Don’t know much trigonometry
Don’t know much about algebra
Don’t know what s slide rule is for
But I know that one and one is two
And if this one could be with you
What a wonderful world this would be
……(続き略)
───“Wonderful World”by Sam Cooke

歴史のことなんかよく知らない
生物学なんかよく知らない
科学の本のことなんかよく知らない
履修したフランス語のことだってよく知らない
でも、僕は君を愛していることを知ってるさ
君も僕のことが好きだって知ったなら
どんなに素敵な世界になるだろう

地理のことなんかよく知らない
三角法なんかよく知らない
代数学のことなんかよく知らない
計算尺を何に使うのかだってよく知らない
でも、「1+1」が2だってことは知ってるさ
そしてその1が君だったなら
どんなに素敵な世界になるだろう
……

□『新・平家物語』(吉川英治);最終章「吉野雛」
平家一族は、保元・平治の乱という争いを経、70年に及ぶ栄枯盛衰の物語に幕を閉じます。吉川英治さんは長編歴史小説『新・平家物語』を締めくくるにあたって、庶民の老夫婦を登場させます。老夫婦は吉野の桜を見に来ており、旅籠でこしらえてもらった弁当をひざの上に広げて、二人、山桜を眺めている───(以下、引用)

自分たちの粟ツブみたいな世帯は、時もあろうに、あの保元、平治という大乱前夜に門出していた。───よくもまあ、踏み殺されもせずに、ここまで来たものと思う。そして夫婦とも、こんなにまでつい生きて来て、このような春の日に会おうとは。

絶対の座と見えた院の高位高官やら、一時の木曾殿やら、平家源氏の名だたる人びとも、みな有明けの小糠星(こぬかぼし)のように、消え果ててしまったのに、無力な一組の夫婦が、かえって、無事でいるなどは、何か、不思議でならない気がする。

「ほら、鶯(うぐいす)が啼いてるよ。あれも迦陵頻伽(かりょうびんが)と聞こえる。極楽とか天国かというのは、こんな日のことだろうな」
「ええ、わたくしたちの今が」
「何が人間の、幸福かといえば、つきつめたところ、まあこの辺が、人間のたどりつける、いちばんの幸福だろうよ。これなら人もゆるすし、神のとがめもあるわけではない。そして、たれにも望めることだから」

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