情報源としてのメディアその変遷と、今、求められる役割
加藤順彦(NIKKO代表取締役社長): 14年前の(NIKKO)創業時、ネットはまだなかった。当時、私は雑誌広告に携わっていたが、広告業は閉塞的だと感じていた。広告とは「表現」と「枠」の売買であり、大半の枠は既得権益によって寡占されている。ベンチャーが許容されず、イノベーションは生まれない。また、新聞5社・テレビなどメディアは限られており、発信者が極端に少ない。非常に限られた人が、情報を選別して発信している。そして、そういうメディアと広告は一体となっている。
そこに隕石のようにネットが現れる。表現、枠、発信源は解放された。広告枠は無限に増え、寡占する先行者もいない。やがて誰もが情報発信者となる。高齢者や主婦を含む、多くの人がネットで発信をし、レスを得て、広告という経済(的な機会)を取得した。
目の前には、大量の情報源がある。この時、自分が何者で、何がほしいのかが明確でないと、得られるものはない。(ネットを使いこなす上で)know-how の先にある、know-whoの問題だ。
高広伯彦(グーグル・シニアマネージャー): 情報源としてのメディアを考えると、マスメディアは生産工場であり、情報を(刹那的に)送る立場である。彼らの情報は、今その瞬間にしか受け取れない。
一方、ネットの情報はアーカイブ化されている。ネットでの検索に、同時性はない。さらに、情報自体は個人や企業が作っているものであり、Googleの役割はそれを集めることだ。これらの革新性が、(従来メディアとの)最大の違いだろう。もちろんネットには客観性を欠いた情報もあり、使い手の審美眼が求められる。
加藤小也香(GLOBIS.JP編集長): 出版社にいた人間として無念に思うのは、既存メディアで得られる情報に、満足できる人が少なくなっていることだ。私自身、多様化するニーズに応えるために、次々と媒体を細分化し、例えば15人体制の編集部で30近い媒体を手掛けるようなことを経験した。しかし、読者の属性を細分化すればするほど、その顔はますます見えなくなる。他方で、読者はネットを使って必要な情報を必要な時に獲得している。
既存メディアの、読者、広告主、編集記者という3つのステークホルダーを明確に分離しようとする方法論にも疑問が残った。広告主におもねり記者が論調を変えるということは、あってならないことと思うが、一方で、読者にとっては本来、広告と編集いずれの情報も同様に価値があるはずのものであり、どちらに比重を置くかという議論は本質ではない。
テレビや新聞などマスメディアの台頭によって、情報は上流にいる作り手(編集、広告)が下流にいる読者に流すというイメージが作り出されたが、情報というのは、川で言えば左岸から右岸への水平方向に、多対多の関係でやりとりされるべきもので、インターネットはそんなメディアの原点をある種、可視化してくれたようにも思う。
(文中敬称略)
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そこに隕石のようにネットが現れる。表現、枠、発信源は解放された。広告枠は無限に増え、寡占する先行者もいない。やがて誰もが情報発信者となる。高齢者や主婦を含む、多くの人がネットで発信をし、レスを得て、広告という経済(的な機会)を取得した。
目の前には、大量の情報源がある。この時、自分が何者で、何がほしいのかが明確でないと、得られるものはない。(ネットを使いこなす上で)know-how の先にある、know-whoの問題だ。
高広伯彦(グーグル・シニアマネージャー): 情報源としてのメディアを考えると、マスメディアは生産工場であり、情報を(刹那的に)送る立場である。彼らの情報は、今その瞬間にしか受け取れない。
一方、ネットの情報はアーカイブ化されている。ネットでの検索に、同時性はない。さらに、情報自体は個人や企業が作っているものであり、Googleの役割はそれを集めることだ。これらの革新性が、(従来メディアとの)最大の違いだろう。もちろんネットには客観性を欠いた情報もあり、使い手の審美眼が求められる。
加藤小也香(GLOBIS.JP編集長): 出版社にいた人間として無念に思うのは、既存メディアで得られる情報に、満足できる人が少なくなっていることだ。私自身、多様化するニーズに応えるために、次々と媒体を細分化し、例えば15人体制の編集部で30近い媒体を手掛けるようなことを経験した。しかし、読者の属性を細分化すればするほど、その顔はますます見えなくなる。他方で、読者はネットを使って必要な情報を必要な時に獲得している。
既存メディアの、読者、広告主、編集記者という3つのステークホルダーを明確に分離しようとする方法論にも疑問が残った。広告主におもねり記者が論調を変えるということは、あってならないことと思うが、一方で、読者にとっては本来、広告と編集いずれの情報も同様に価値があるはずのものであり、どちらに比重を置くかという議論は本質ではない。
テレビや新聞などマスメディアの台頭によって、情報は上流にいる作り手(編集、広告)が下流にいる読者に流すというイメージが作り出されたが、情報というのは、川で言えば左岸から右岸への水平方向に、多対多の関係でやりとりされるべきもので、インターネットはそんなメディアの原点をある種、可視化してくれたようにも思う。
(文中敬称略)
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