「共通善」に向かって仕事をするために一番必要な場とは
野中:哲学についてですが、大学の教養課程に哲学がありましたよね。学生時代の皆さんはほとんど関心を持たれなかったと思います。しかし教養というのは大切です。人生に悩み悩んで「我々はなんのために存在するのか」「真・善・美とは一体なんであるのか」、それこそ悩み悩んで教養を身に付けていく必要がある。ビジネスパーソンとして経験のある皆さんにとって、今むしろ学ぶべきものが教養だと思います。教養となる哲学のなかで東洋的なものとなると、よく知られているもので西田哲学がありますね。
また、私自身は古今東西の哲学者8人の著作をすべて読み、それぞれの哲学者が何を言っているのかを考えさせるというエクササイズをしています。プラトン、アリストテレス、西田幾多郎、毛沢東など…。毛沢東を哲学者と呼ぶかどうかは別問題ですが、とにかく東と西の哲学者8人の著作を皆に読ませるというグループスタディです。一人ひとりで読んで書いてきてもらい、さらにそれをチームで「プラトンはこういうことを言っているんじゃないか」と話し合う。これはかなり好評でした。いずれにせよ哲学は存在論と認識論という面がありますから、「なんのために存在するのか」「真・善・美とは何か」ということは学んでおく必要があると強く感じます。
それともうひとつ。私は三井物産の社外取締役をやっておりますが、三井物産では「良い仕事」をすることをひとつのモットーにしています。非常に重要な商談を含めた何らかのプロジェクトについてチームで判断をするとき、皆で「誰にとって‘Good’なのか」を考えるのです。自分にとっての‘Good’なのか、チームにとっての‘Good’なのか。さらには、部門、会社、社会にとってどうなのか。そういった議論をするといろいろな解が出てきて、そのなかで「やはり今回はこのコンテクストでやってみよう」といった話になっていきます。それで間違っていたらそのときに直せばいのです。 “良い仕事”というのはなかなか英語にできませんよね‘Good Job’なんて訳すと少し浅い感じがします。ですから、「グローバルに展開していく良い仕事」としていますが、その代わりに、「何が‘Good’か」「徳とはなんだ」という議論をいつもしています。こうした議論の場を与えると皆も本を読まざるを得なくなります。
つまり、仕事のなかで何が本質かを考え抜くような場をつくることです。皆が自主的に読書会をやるなどでもよいと思います。哲学といっても別に哲学者を呼んでこなければわからないわけではありません。とにかく自分の問題意識で本を読みながら皆でワイワイガヤガヤやることによって、見えてくる部分が非常に多いと思っています。だからこの議論を仕事のなかに組み込んでしまうのです。「ときには青臭い議論をやろうよ」と。
それからレトリックですが、学ぶべきもののひとつはメタファーです。特に暗黙知を形式知にするとき、我々は新しい言葉をつくらないといけない。もちろん新しい言葉はそう簡単に生まれませんが、ここでは零戦の例を紹介させてください。坂井三郎さんという、僕も一度お会いしたことのある零戦元パイロットの方に伺った話ですが、零戦の飛術には「左捻り込み」というものがあったんです。それで敵機の後尾につくという技術ですね。そこで加藤寛一郎先生という東大の先生がその飛術をマニュアルにすれば今日の空中戦にも活用出来るということで、この技術をどうやって形式知化するかという話になった。しかし坂井さんはそこで上手く言えなかった。暗黙知ですから。とにかく身振り手振りで話してみたり、二人が一緒に席に座って「操縦桿はここでこうします」なんて言ってみたり…、いろいろとやったのですがそれでも伝わらなかった。ところがあるとき坂井さんがぼそっと「その瞬間、左足で“味噌をする”ように踏み込むんだ」と言ったんです。この“味噌をする”というのがメタファーです。そこで加藤先生も「ああ、あの感触ですね」となった。そして分析を行なってスペック化し、最終的には形式知化に成功したというのです。
そんなふうに、例えが豊富であることが非常に重要です。なぜ重要か。こうした暗黙知は味噌をすったことのない人にはわからないからです。他者と暗黙知を共有するときにはお互い経験を共有している別の物事を媒介にして言葉をつくります。これがメタファーです。メタファーを可能にするには、日ごろから文学に親しむといったことが鍵になるのではないかと思います。詩も同様で、「何々のように」というメタファーの塊ですから。そのようにして自身の“在庫”を増やしていくことが非常に重要になると思います。
関係性を読む能力は、女性が長けているのではないか
野中:私は以前、エーザイという会社の社外取締役で諮問委員会の委員長を務めていたことがあります。で、当時は女性の取締役がおらず、株主総会でその点について理由を訊かれたことがありました。エーザイのビジョンはヒューマンヘルスケアだったのですが、そもそもヒューマンヘルスケアというビジョンは、実はナイチンゲールが最初に言ったものです。「そんな会社の株主総会で壇上の人間が全員男性というのはいかがなものか」というご意見だったのです。当時から我々は絶えずダイバーシティを試みていたのですが、残念ながら現実には母集団として女性が非常に少なかった。しかし現在は優れた女性の方々も引く手あまたと言いますか…、そういう意味で、これからいかにして女性の母集団を増やしていくかが重要になると思います。そしてその努力はトップが率先してやらなければシンボリックにならないと思います。
あとは、特にミドルマネージャーですね。先ほどは時間の都合もあって省略したのですが、今回資料として用意したミドルマネージャーによるイノベーション事例のうち、2つは女性がマネージャーでした。ひとつはキリンビールの「FREE」開発、プロジェクトのマネージャーは27歳の女性です。もうひとつはJR東日本構内の商業施設である「エキュート」をつくった蒲田さんという女性。この二人は非常に優れたプロジェクトリーダーでした。実は「暗黙知の共感」という点については、女性のほうが豊かな能力を持っているのではないかと思っています。プロジェクトのリーダーやプロデューサー型の人材には、コンテクストを読む力や現実の直感力が重要となり、特に関係性を読む力が不可欠なため、女性に向いている面が多いのではないかという気がします。我々が育成していかなければいけないのは、そうしたいわゆるミドルマネージャーの人材だと思います。女性を登用していく傾向は、現在、ソフトウェア開発を含めたソリューション業界やファッション業界すでに台頭してきており、そこが突破口になるかなと考えています。そうしたプロジェクトチームはグローバルに編成していきますから、ダイバーシティという点で捉えても非常に面白いですよね。
コミュニケーションはコストではなく創造の源泉をつくる投資である
野中:「企業とは知識創造体である」と概念化した場合、社内のコミュニケーションは知的財産、あるいは物的資産を含めて、ソーシャル・キャピタル、「社会関係資本」と考えます。ですから場づくりを含めた企業におけるソーシャル・キャピタルの蓄積は極めて重要なイノベーションの源泉になりうると考えています。そうなるとコストというよりも投資ですよね。今回の大震災で世界が絶賛したのは、やはり日本社会が持つソーシャル・キャピタルの深い蓄積であったと思います。「連帯」こそソーシャル・キャピタルだと思いますし、ソーシャル・キャピタルこそが場の根本です。これが構築出来ない限り相互主観にも至らず、さまざまな分析を踏まえた暗黙知と形式知のスパイラルも起こらないと考えられます。だからこそソーシャル・キャピタルが場づくりの根幹になければいけないと思います。
今日お話ししたリーダーシップにおける6つの要件では、場をタイムリーにつくる能力を2番目に入れてありますが、言ってみればこれこそがイノベーションの源泉です。そうなるとソーシャル・キャピタルの触発や創造はまさに投資です。ですからコストと考えるのではなく、創造の源泉となる基盤づくり、あるいはプラットフォームづくりと考えていただければと思います。。
無限のエクセレンスを追求していくプロセスそのものが‘Good’
野中:アリストテレス的に言えば、それ自体を追求する絶対価値のようなものが世界にはあり、それは幸福や自己実現になります。たしかにその通りですが、そこに日本的な伝統を織り交ぜてみると私の解釈は少し変わります。新渡戸稲造の『武士道』を読むと、武士道というのは形而上学的で哲学をまったく教えていなかったことがわかります。しかし「世のため人のため」というある種の‘Common Sense’というか、自己犠牲のようなディシプリンは徹底的に教えていた。私としては我々が‘Common Good’のためと言うときに思いつく「世のため人のため」という言葉が、もっと‘Common Sense’的なものではないかと思います。今、何がこの我々のコミュニティにとってよいのか、そのコミュニティの背後をどこまで絞るか…。これは先ほどお話ししました三井物産の例のように人さまざまです。しかしそこで対話を重ねていくうちに「まあこの辺だよな」といったある種の曖昧さを抱えながら、かつそれを実践をしながら絶えず追求をしていくことで、もうひとつの‘Common Good’が出てくるのだと思います。
それは“徳”ということになるのですが、では‘Virtuous’ってなんだろうかと。「徳とはなんぞや」ということです。これに対してはヨーロッパでも日本でも共通だと思いますが、職人道と言いますか、何かの卓越性に向かって無限に努力する、そのプロセス自体が‘Good’なのだと私は考えます。‘Artisanship’、‘Virtuoso’、あるいは‘Professionalism’という呼び方でもよいでしょう。日本の伝統のなかには“型”というものがありますよね。いわゆる「守・破・離」。無限に自己を磨きあげていくというこの考え方そのものが‘Good’ではないかと感じています。守破離で絶えず無限のエクセレンスを追求していくプロセス自体が‘Good’であり‘Virtuous’である、という考え方はアリストテレスの哲学にもあります。日本では武士道なのですが、私自身はそういうところに近いのではないかと思っています。
問題はそのエクセレンスが何であるかということですが、やはりコミュニティの持っている伝統というものだと思います。こういうことが我が社にとって‘Good’なんだ、あるいは卓越性なんだということです。ホンダであれば「現場・現物・現実」というのはある種エクセレンスの基準だと思います。現場に行って何をしたのか。傍観者的に見ていたのか、それとも一緒に汗をかいて相手の視点に立ち世界を見ていたのか。そんな「現場・現物・現実」というエクセレンス。トヨタなら‘Repeat Why Five Times’とかね。「本質、本質、本質…」と5回は繰り返しましょうと。これがエクセレンスの基準です。ユニクロなら「今やる、すぐやる、ぜんぶやる」。こういったエクセレンスの基準には、やはりコミュニティの伝統が深く関わっていると思います。
ただし、伝統というのは固定されてしまいますから、それに挑戦して絶えず超えていくために伝統自身が進化していく必要があります。閉じた瞬間におかしくなってしまいますから、開かれた伝統がコミュニティでは大切になるのではないかと思っています。いずれにせよ、そんなふうに私自身はエクセレンスの無限追求自体が‘Virtuous’であるという考え方に近いと思っています。
堀:野中先生、大変長いことありがとうございました。皆さんも盛大な拍手をお願い致します(会場拍手)。




