スピーカー:
野中郁次郎 一橋大学名誉教授
堀義人 グロービス経営大学院学長
野中郁次郎 一橋大学名誉教授
堀義人 グロービス経営大学院学長
企業は新しい未来をつくる知の創造体である
野中郁次郎氏
ランキングに入っている方を少し紹介すると、たとえばゲイリー・ハメル。ご承知の通り「コア・コンピタンス」というコンセプトをC.K. プラハラードとともに提唱した方です。トーマス・フリードマンは『The World is Flat』(『フラット化する世界』)でお馴染ですね。心理学者もランクインしているのが最近の特徴です。それからクレイトン・クリステンセン『The Innovator's Dilemma』(『イノベーションのジレンマ』)、そして、マイケル・ポーターは今回2008年に発表された2回目のランキングでは14位でしたが、1回目はたしか1位でしたでしょうか。当時は戦略論が盛んでしたから。
現在のランキング基準は少しずつ変化しているようです。戦略の本質に突き進んでいった結果として、「大切なのはイノベーションではないのか?」という流れが現在は生まれているように思います。同時に、競争戦略論で中心的なマーケット分析にも、もっと自分たちの主観で解釈して「未来をつくる」というアプローチが出てきました。「人間の主観がもっと重要なのではないのか」という考え方で、イノベーションはまさにそれにあたります。人々を説得することで主観を客観にしていくという、人間くさい側面が出てきているのが現在の流れなのかなと理解いただければと思います。
私自身が「The Most Influential Business Thinkers」でぎりぎり20位に入ったのは『知識創造企業(The Knowledge-Creating Company)』という著書が大きなきっかけだったと思います。それと『流れを経営する(Managing Flow)』などですね。ですが今日は、むしろ知識創造のあとの展開、およびその中心となるリーダーシップ論を中心にお話ししていきたいと思います。
ここでいうリーダーシップは、私の場合はやはり「知を創造するリーダーシップ」となります。イノベーションを支援・促進し、実現するリーダーシップに大変関心があるのです。最近また流行っているお馴染のピーター・ドラッカーはマネジメントに関するいくつかの重要なコンセプトをつくったと言われております。彼は「知識社会」という非常に重要な概念も提言していますね。「21世紀は知識社会(knowledge society)である」と。私たちにとって最も重要な資源は知識であることを洞察し、それを言葉にしたわけです。ただしドラッカーはコンセプトは出したのですが、きちんとした論理体系や関係性をつくりあげ、理論化するところまではあまりやっていませんでした。
「知識(Knowledge)」はわけのわからない資源だから、それがどんなふうにつくられていくのかという理論が私としては欲しかった。我々がこれまでずっとしてきたことは「どうやって組織的に知を生み出すか」ということ、つまりイノベーションで、私はそれを改めて説明したかったのです。会社員生活を9年続けたこともあって、イノベーションというものに以前から非常に深い関心がありました。現在はナレッジがつくられる過程についてしつこく理論化しているというふうに捉えていただければよいかなと思っております。
まず、企業をどのように見るかは大切です。我々は、企業とは単なるマネーメイキングマシーンではないと思っています。新しい未来をつくる知の創造体であり、イノベーションを持続させるもの、限りなく未来に向かって知をつくり続けていくのが企業なのではないかと考えています。
知とは、関係性の中で創りだすもの、そこでは「主観」が重要になる
そしてもうひとつ重要なことは、知を「誰がつくるのか」ということです。それは「我々」であって、知識は自分の思いや信念を真理に向かって社会的に、すなわち人々と説得し合いながら、人と人との関係性をマネージしながら、実現し正当化していくそのダイナミックプロセスであるということです。さらに、知識とは自分の想いを実現していくプロセスであるととらえると、マーケットはまさに知の宝庫と考えられるわけです。これについてはフリードリヒ・ハイエクという経済学者が「マーケットの基本的機能とは新しい知を獲得することではないか」という重要な洞察をしています。単に競争だけをする場ではないという考え方です。
マイケル・ポーターを含め、経済学をベースにした現在の戦略論の基本にあるのは「完全情報」という仮説です。消費者も企業も完全な情報を持っているという仮定のもと、一人ひとりが自己の利益を追求すべく合理的な行動をとれば、自ずから神の見えざる手がそこに均衡をもたらしてくれる、そこで需要と供給がバランスする均衡があるという考え方にたっています。
しかし、ハイエクはそうは考えませんでした。彼は、「マーケットは不完全情報だ」ととらえ、とりわけ「暗黙知」という考え方に目をつけました。我々がなかなか言葉に出来ない、“見える化”することができない膨大な知がマーケットには埋めこまれているため、完全情報に基づく均衡というようなものは存在しない。つまり誰もが部分的な知識しか持っていないということです。ハイエクは、そういった見えない知をいかにして人と人との相互作用を経て産み出していくかが重要であると考えたのです。
そういう意味で、我々は知識がはじめから“見える化”されて客観的に与えられているもの、それは「形式知」と言ってもよいかもしれませんが、そういうものではないという立場をとっています。知はあらかじめ形式的に与えられているのではなく、人と人との関係性の中で主体的につくりだすものではないかと思うのです。我々は何らかの思いを持ち、人々と暗黙知を共有し合いながら、あるいは相手の暗黙知を引き出しながら、新しい知をつくっていく。それがイノベーションなのだと考えています。
繰り返しますが知は関係性の中からつくるものであり、そこでは人間の持っている主観、想い、夢、感情といった主観が非常に重要になります。ただし、主観が主観に留まっているかぎりは、普遍にはなりません。いかに自分の持っている主観を人々との相互作用を通し共感し合い、説得し合い、概念化し、実現していけるのか。そうした主観を客観化していく過程こそがイノベーションなのです。
次に、知を創造するために重要なのは関係性を読むことですが、我々はこれを「文脈(context)」と呼んでいます。言葉が置かれた状況と言語との関係性あるいは前後関係のことで、非常に重要な概念です。なぜならば、何にせよ前後関係を見ることでしか意味を知り得ることが出来ないからです。たとえば「結構です」ということばが「よい」という意味なのか、あるいは「必要ない」という意味なのかは、前後関係で決まります。また「俺はうなぎだ」などという言葉、これはどう考えても論理的におかしいのですが(会場笑)、和食屋に行って「お前は何を食べるんだ」と聞かれたら、「俺はうなぎだ」という返事で十分に伝わります。重要なのはこの文脈を読むことです。つまりこれは解釈なんです。
言葉以外の物事やデータが置かれた状況、物事やデータの関係性や意味も、周りの関係や文脈を知ることではじめて判断できます。その意味で、関係性から世界を見ることが非常に重要になります。同時にそのためには、言語・文章で表現するのが難しい主観的・身体的な経験知である「暗黙知」と、言語・文章で表現できる客観的・理性的な言語知である「形式知」を絶えずスパイラルに回していく必要があります。
こうした観点から、マネジメントとは分析だけではなく。アートでもあると言えます。実はこれまでのマネジメントというのは極めて分析が多く、特にアングロサクソンは徹底的な分析をしており、マネジメントはサイエンスであるという考え方が非常に強くありました。マイケル・ポーターが提言している競争戦略にも完全競争と完全情報による均衡という考え方が背後にあります。
ところが均衡状態では皆がフェアでイコールなので、フェアな利益を獲得できても、利益の最大化は極めて限られます。企業は寡占や独占の状態でこそ利益を最大化できるわけで、それでは完全競争の状態を不完全競争の状態に持っていくことになります。つまり、参入障壁を高め、サプライヤのパワーを高め、消費者のパワーを低める。完全競争の状態を不完全競争の状態にもっていくことで利益を獲得します。それが戦略であり、ファイブ・フォース・モデルになります。しかしこれでは人間の想いや、未来をつくるであるとか、社会のために何をするか、という話が出にくくなります。我々の言う「知識創造」では、こうした人の想いや社会のために何をするかといった企業観が重要で、マネー・メイキング・マシーンを超えて未来をつくことこそが、知識創造企業の戦略であると考えているのです。
マイケル・ポーターを含め、経済学をベースにした現在の戦略論の基本にあるのは「完全情報」という仮説です。消費者も企業も完全な情報を持っているという仮定のもと、一人ひとりが自己の利益を追求すべく合理的な行動をとれば、自ずから神の見えざる手がそこに均衡をもたらしてくれる、そこで需要と供給がバランスする均衡があるという考え方にたっています。
しかし、ハイエクはそうは考えませんでした。彼は、「マーケットは不完全情報だ」ととらえ、とりわけ「暗黙知」という考え方に目をつけました。我々がなかなか言葉に出来ない、“見える化”することができない膨大な知がマーケットには埋めこまれているため、完全情報に基づく均衡というようなものは存在しない。つまり誰もが部分的な知識しか持っていないということです。ハイエクは、そういった見えない知をいかにして人と人との相互作用を経て産み出していくかが重要であると考えたのです。
そういう意味で、我々は知識がはじめから“見える化”されて客観的に与えられているもの、それは「形式知」と言ってもよいかもしれませんが、そういうものではないという立場をとっています。知はあらかじめ形式的に与えられているのではなく、人と人との関係性の中で主体的につくりだすものではないかと思うのです。我々は何らかの思いを持ち、人々と暗黙知を共有し合いながら、あるいは相手の暗黙知を引き出しながら、新しい知をつくっていく。それがイノベーションなのだと考えています。
繰り返しますが知は関係性の中からつくるものであり、そこでは人間の持っている主観、想い、夢、感情といった主観が非常に重要になります。ただし、主観が主観に留まっているかぎりは、普遍にはなりません。いかに自分の持っている主観を人々との相互作用を通し共感し合い、説得し合い、概念化し、実現していけるのか。そうした主観を客観化していく過程こそがイノベーションなのです。
次に、知を創造するために重要なのは関係性を読むことですが、我々はこれを「文脈(context)」と呼んでいます。言葉が置かれた状況と言語との関係性あるいは前後関係のことで、非常に重要な概念です。なぜならば、何にせよ前後関係を見ることでしか意味を知り得ることが出来ないからです。たとえば「結構です」ということばが「よい」という意味なのか、あるいは「必要ない」という意味なのかは、前後関係で決まります。また「俺はうなぎだ」などという言葉、これはどう考えても論理的におかしいのですが(会場笑)、和食屋に行って「お前は何を食べるんだ」と聞かれたら、「俺はうなぎだ」という返事で十分に伝わります。重要なのはこの文脈を読むことです。つまりこれは解釈なんです。
言葉以外の物事やデータが置かれた状況、物事やデータの関係性や意味も、周りの関係や文脈を知ることではじめて判断できます。その意味で、関係性から世界を見ることが非常に重要になります。同時にそのためには、言語・文章で表現するのが難しい主観的・身体的な経験知である「暗黙知」と、言語・文章で表現できる客観的・理性的な言語知である「形式知」を絶えずスパイラルに回していく必要があります。
こうした観点から、マネジメントとは分析だけではなく。アートでもあると言えます。実はこれまでのマネジメントというのは極めて分析が多く、特にアングロサクソンは徹底的な分析をしており、マネジメントはサイエンスであるという考え方が非常に強くありました。マイケル・ポーターが提言している競争戦略にも完全競争と完全情報による均衡という考え方が背後にあります。
ところが均衡状態では皆がフェアでイコールなので、フェアな利益を獲得できても、利益の最大化は極めて限られます。企業は寡占や独占の状態でこそ利益を最大化できるわけで、それでは完全競争の状態を不完全競争の状態に持っていくことになります。つまり、参入障壁を高め、サプライヤのパワーを高め、消費者のパワーを低める。完全競争の状態を不完全競争の状態にもっていくことで利益を獲得します。それが戦略であり、ファイブ・フォース・モデルになります。しかしこれでは人間の想いや、未来をつくるであるとか、社会のために何をするか、という話が出にくくなります。我々の言う「知識創造」では、こうした人の想いや社会のために何をするかといった企業観が重要で、マネー・メイキング・マシーンを超えて未来をつくことこそが、知識創造企業の戦略であると考えているのです。
プラトン以降の西洋の知は「身体」という主観を否定してきた
プラトンはすべてのものにイデアという理想郷があるとしていました。目に見えない、普遍、かつ万古不易のイデア、あるいは理想型があるということです。たとえば「女性のイデアは永遠不滅のマリアである」などです。私の場合は、原節子という女優がイデアでした(会場笑)。これがもう永遠の美女であり、イデアなんだと。しかしそれでは私の女房はなんだということになってしまいます(会場笑)。よって実践と現実のただなかに真実があるという考え方を我々はしているのです。
知識創造は「暗黙知」と「形式知」の相互変換運動である
「暗黙知」と「形式知」は両方ともに必要なものであると我々は考えます。それは「経験」と「言語」が創造的関係にあるということにもつながると考えています。ソムリエである田崎真也さんの著作でも「ソムリエは良いワインというものをまず体感しなければいけない」と述べられています。そしてその背後にある本質を探るのだそうです。本質は見えないもので、これはもう徹底的に考え抜き、分析する必要があります。ワインの味わいと五感で得た直感について、思いついたことを田崎さんはすべてメモして言語化していくそうです。
たとえば我々は、ワインの香りを「ブルーベリーのなんとかの香りのように…」と言われると、暗黙知が触発されます。「ああ、そうか」と。本質的な直感を言語や概念で表現していくことで、それを使って暗黙知に働きかけることができます。概念とは新しい意味を持った言葉のことであり「コンセプト」です。大変難しいですが、考え抜いて本質をぴたりと言い当てた言葉こそがコンセプトになるのです。しかも田崎さんの場合は、ワインが持つ前後関係をも読み取っていきます。先ほどお話しした「文脈(context)」ですね。その時に給された料理や場の雰囲気も読みながら一期一会という関係のなかで、即興的に暗黙知を形式知にぴたりと変換し、相手の知をさらに触発していく。こういうことが出来るプロフェッショナルなんです。
一方で、野球の長嶋茂雄さんは暗黙知を形式知に変換する能力が若干乏しかったのかなと思います。暗黙知というのはイメージです。彼はイメージをイメージのまま語るからわからないんですね。具体的にはどう打ったら良いのかと聞かれると「来た玉をパッと打つ」などと答える。それはそうだよと(会場笑)。これに対して野村克也さんは徹底的にぎりぎりまで言語化していきます。野村さんは「私の哲学は阪神タイガースでは機能しなかった」と反省されていましたが、それは阪神の選手のほとんどが体育会系の言語を使っていたためだと言います(会場笑)。
こういった暗黙知と形式知の関係はいろいろな例で提示出来ます。たとえばトヨタ経営の本質は暗黙知と形式知のスパイラルアップにあります。トップがあらゆるところで徹底的に暗黙知を形式知化しています。もちろんすべてを言語化出来るわけではありませんので、暗黙知が暗黙知のまま残るものに関しては、それは暗黙知のまま共有していこうとしています。それはまさに人づくりでもあるのだということです。高質の経験をつくる場をつくりあげていくんだと。こういうことであります。
たとえば我々は、ワインの香りを「ブルーベリーのなんとかの香りのように…」と言われると、暗黙知が触発されます。「ああ、そうか」と。本質的な直感を言語や概念で表現していくことで、それを使って暗黙知に働きかけることができます。概念とは新しい意味を持った言葉のことであり「コンセプト」です。大変難しいですが、考え抜いて本質をぴたりと言い当てた言葉こそがコンセプトになるのです。しかも田崎さんの場合は、ワインが持つ前後関係をも読み取っていきます。先ほどお話しした「文脈(context)」ですね。その時に給された料理や場の雰囲気も読みながら一期一会という関係のなかで、即興的に暗黙知を形式知にぴたりと変換し、相手の知をさらに触発していく。こういうことが出来るプロフェッショナルなんです。
一方で、野球の長嶋茂雄さんは暗黙知を形式知に変換する能力が若干乏しかったのかなと思います。暗黙知というのはイメージです。彼はイメージをイメージのまま語るからわからないんですね。具体的にはどう打ったら良いのかと聞かれると「来た玉をパッと打つ」などと答える。それはそうだよと(会場笑)。これに対して野村克也さんは徹底的にぎりぎりまで言語化していきます。野村さんは「私の哲学は阪神タイガースでは機能しなかった」と反省されていましたが、それは阪神の選手のほとんどが体育会系の言語を使っていたためだと言います(会場笑)。
こういった暗黙知と形式知の関係はいろいろな例で提示出来ます。たとえばトヨタ経営の本質は暗黙知と形式知のスパイラルアップにあります。トップがあらゆるところで徹底的に暗黙知を形式知化しています。もちろんすべてを言語化出来るわけではありませんので、暗黙知が暗黙知のまま残るものに関しては、それは暗黙知のまま共有していこうとしています。それはまさに人づくりでもあるのだということです。高質の経験をつくる場をつくりあげていくんだと。こういうことであります。




