「日本的リーダーシップ論は、欧米のリーダーシップ論に比べて、極めて成熟した思想」(田坂)
冨山:今の定義でいえば、再生機構にいたときのリーダーは小泉さんで、サブリーダーが竹中さん、経営者が私という形ですね。小泉さん竹中さんとの間に緊張関係が起きたことは、皆無ではないにせよそれほどはありませんでした。当時の自民全体とは緊張関係がいっぱい起きていましたが(会場笑)。
結局のところ、矛盾がおきたときに正反合をaufheben(高次元統合)するのがリーダーシップであると私は考えます。その意味ではダイエーはまさにそのパターンでしたし、日本航空ではそれができていないということだと思います。ゴールとプロセスのぶつかり合いや解けない矛盾のなかで、最終的にどうやって落ち着かせるかという段階になったとき、最悪なのはその正反合から逃げることです。そこと向き合うのは一番、大きな権力を持った人の責任である。逆に、今の日本は偉い人が逃げまくっているからこんな状況になってしまっているとも言えます。正反合をやれば何らかの理不尽が起きるし、必ず「口にしたことと違うだろう」と言われ、怨嗟が巻き起こります。それを最終的に背負えるのが最高権力者なんだろうと、あのときの私は思っていました。
当時、再生機構の株主は政府であり、政府の最高権力者は小泉さんでした。ですからご質問にあった最後の集約というのは、結局のところ、私というより、最高権力者であった小泉さんの仕事です。恐らく最高権力者がaufhebenをしていく局面で、結局はその人の歴史観や人生観、あるいは哲学が関わっていくんだろうと思います。その後姿が見えているようなリーダーと仕事をしているときは、こちらもある意味で腹が括れますね。それが匂うか否かというのは大変クリティカルな問題で、リーダーはそれが匂っていなければダメだと思います。「殺されてもいいから俺はやるんだ」という本気度が匂い立っていない限り、「この人と一緒にやっていると危ないのではないか」と思ってしまいますから。
堀:なるほど。ちなみに英語ではリーダーとマネジャーが根本的に違いますから、リーダーを指導者、マネジャーを経営者と訳すのは少し違うかもしれませんね。
田坂:リーダーとマネジャーという言葉の使い分けは、極めて欧米的な考え方ですね。それに対して、私はここまで、極めて東洋的な観点から話をさせて頂いていきました。すなわち、私が述べてきたのは、東洋的リーダー像であり、日本的リーダー像についてなのですね。
欧米の考え方は基本的に、すべてが「機械論」なのですね。まず「目的」があり、それをどうやって「達成」するかという発想です。すなわち、「目的」と「プロセス」を分けてしまうのですね。しかし、東洋的な思想では、基本的に、「目的」と「プロセス」が渾然一体となっている。
例えば、「求道」という言葉一つをとっても、日本においては、「求道、これ道なり」という考え方が語られます。すなわち、道を求めて歩み続け、歩み続け、その道を得ることなく終わろうとする人物に対して語られる言葉ですね。「あなたが道を求めて歩んできた姿そのものが、すでに道を得ているではないか」と。私は、こういう深い思想をこそ、これから世界に伝えていくべきだと思っています。日本の深い精神、思想、文化に根ざした新しいリーダー論が出てきてしかるべき時代だと思うのです。
では、日本的リーダー像とは、いかなるものか。それは、決して、愚かな民を導くという意味での指導者ではない。それは、かつて親鸞が、浄土真宗の信徒に対して「ご同行」(どうぎょう)と呼びかけたように、人間成長という山の頂きに向かって、多くの人々とともに一筋の道を登っていく人物像でしょう。だから、同じ道を行く人、ご同行なのでしょう。
そして、日本には、リーダーシップについて、もう一つ名言があります。「千人の頭(かしら)となる人物は、千人に頭(こうべ)を垂れることができなければならぬ」という言葉です。こうした日本的リーダーシップ論は、欧米のリーダーシップ論に比べて、極めて成熟した思想であるといえます。
そして、こうした日本的リーダー像は、一国における最高の政治的指導者にも求められるべきでしょう。本当に優れた政治とは、その政治によって、色々な良い政策が実現されるだけでなく、何よりも、国民の意識や自覚が高まり、自立心が芽生え、多くの国民が精神的に成長し、成熟していく政治だと思うのです。その意味で、いま、人類社会は、リーダーシップそのものの在り方を、根本から見直すべき時期に来ているのですね。
もとより、世界の現実を見つめるならば、現実的なタクティクスとして西洋的なリーダー像をめざすときもあると思いますが、我々が遥か彼方に見つめ、登っていこうとしている頂だけは、決して見失うべきではないと思います。
ここで述べた日本的リーダーシップや東洋的リーダーシップが世界に広がっていくのは、遠い先のことかもしれません。しかし、私は、そうした成熟したリーダーシップ像が、いつの日か、世界全体の共通認識になっていくと思っています。
堀:グロービスでは陽明学を学ぶ機会も設けているんです。そこで例えば知行合一ということについて皆で考えます。陽明学は龍馬や西郷が学んだ学問でもありますから入り込みやすいし、宗教ではないから学びやすいという面もあるんです。そういったものを学んでいくなかで、皆が東洋的な思想に基づいた成長を遂げていくこともできるんじゃないかと思っています。
最後にお二人には「私たちの世代にできること」を伺ってみたいと思います。今後、少なくとも10年は人口減少が続き、財政も破綻に近づき、そのなかで構造改革も進まないという閉塞感がさらに蔓延していく。そこに対して私たち自身が何らかの働きかけをしない限りは恐らく日本は変わらない。誰かがやらなければいけないのなら、たとえ恨みを買うことになったとしても僕らの世代で社会を変革していきたい。そこに対し、一言ずついただいて、本日のセッションを終わりたいと思います。
結局のところ、矛盾がおきたときに正反合をaufheben(高次元統合)するのがリーダーシップであると私は考えます。その意味ではダイエーはまさにそのパターンでしたし、日本航空ではそれができていないということだと思います。ゴールとプロセスのぶつかり合いや解けない矛盾のなかで、最終的にどうやって落ち着かせるかという段階になったとき、最悪なのはその正反合から逃げることです。そこと向き合うのは一番、大きな権力を持った人の責任である。逆に、今の日本は偉い人が逃げまくっているからこんな状況になってしまっているとも言えます。正反合をやれば何らかの理不尽が起きるし、必ず「口にしたことと違うだろう」と言われ、怨嗟が巻き起こります。それを最終的に背負えるのが最高権力者なんだろうと、あのときの私は思っていました。
当時、再生機構の株主は政府であり、政府の最高権力者は小泉さんでした。ですからご質問にあった最後の集約というのは、結局のところ、私というより、最高権力者であった小泉さんの仕事です。恐らく最高権力者がaufhebenをしていく局面で、結局はその人の歴史観や人生観、あるいは哲学が関わっていくんだろうと思います。その後姿が見えているようなリーダーと仕事をしているときは、こちらもある意味で腹が括れますね。それが匂うか否かというのは大変クリティカルな問題で、リーダーはそれが匂っていなければダメだと思います。「殺されてもいいから俺はやるんだ」という本気度が匂い立っていない限り、「この人と一緒にやっていると危ないのではないか」と思ってしまいますから。
堀:なるほど。ちなみに英語ではリーダーとマネジャーが根本的に違いますから、リーダーを指導者、マネジャーを経営者と訳すのは少し違うかもしれませんね。
田坂:リーダーとマネジャーという言葉の使い分けは、極めて欧米的な考え方ですね。それに対して、私はここまで、極めて東洋的な観点から話をさせて頂いていきました。すなわち、私が述べてきたのは、東洋的リーダー像であり、日本的リーダー像についてなのですね。
欧米の考え方は基本的に、すべてが「機械論」なのですね。まず「目的」があり、それをどうやって「達成」するかという発想です。すなわち、「目的」と「プロセス」を分けてしまうのですね。しかし、東洋的な思想では、基本的に、「目的」と「プロセス」が渾然一体となっている。
例えば、「求道」という言葉一つをとっても、日本においては、「求道、これ道なり」という考え方が語られます。すなわち、道を求めて歩み続け、歩み続け、その道を得ることなく終わろうとする人物に対して語られる言葉ですね。「あなたが道を求めて歩んできた姿そのものが、すでに道を得ているではないか」と。私は、こういう深い思想をこそ、これから世界に伝えていくべきだと思っています。日本の深い精神、思想、文化に根ざした新しいリーダー論が出てきてしかるべき時代だと思うのです。
では、日本的リーダー像とは、いかなるものか。それは、決して、愚かな民を導くという意味での指導者ではない。それは、かつて親鸞が、浄土真宗の信徒に対して「ご同行」(どうぎょう)と呼びかけたように、人間成長という山の頂きに向かって、多くの人々とともに一筋の道を登っていく人物像でしょう。だから、同じ道を行く人、ご同行なのでしょう。
そして、日本には、リーダーシップについて、もう一つ名言があります。「千人の頭(かしら)となる人物は、千人に頭(こうべ)を垂れることができなければならぬ」という言葉です。こうした日本的リーダーシップ論は、欧米のリーダーシップ論に比べて、極めて成熟した思想であるといえます。
そして、こうした日本的リーダー像は、一国における最高の政治的指導者にも求められるべきでしょう。本当に優れた政治とは、その政治によって、色々な良い政策が実現されるだけでなく、何よりも、国民の意識や自覚が高まり、自立心が芽生え、多くの国民が精神的に成長し、成熟していく政治だと思うのです。その意味で、いま、人類社会は、リーダーシップそのものの在り方を、根本から見直すべき時期に来ているのですね。
もとより、世界の現実を見つめるならば、現実的なタクティクスとして西洋的なリーダー像をめざすときもあると思いますが、我々が遥か彼方に見つめ、登っていこうとしている頂だけは、決して見失うべきではないと思います。
ここで述べた日本的リーダーシップや東洋的リーダーシップが世界に広がっていくのは、遠い先のことかもしれません。しかし、私は、そうした成熟したリーダーシップ像が、いつの日か、世界全体の共通認識になっていくと思っています。
堀:グロービスでは陽明学を学ぶ機会も設けているんです。そこで例えば知行合一ということについて皆で考えます。陽明学は龍馬や西郷が学んだ学問でもありますから入り込みやすいし、宗教ではないから学びやすいという面もあるんです。そういったものを学んでいくなかで、皆が東洋的な思想に基づいた成長を遂げていくこともできるんじゃないかと思っています。
最後にお二人には「私たちの世代にできること」を伺ってみたいと思います。今後、少なくとも10年は人口減少が続き、財政も破綻に近づき、そのなかで構造改革も進まないという閉塞感がさらに蔓延していく。そこに対して私たち自身が何らかの働きかけをしない限りは恐らく日本は変わらない。誰かがやらなければいけないのなら、たとえ恨みを買うことになったとしても僕らの世代で社会を変革していきたい。そこに対し、一言ずついただいて、本日のセッションを終わりたいと思います。




