気鋭の社会起業家駒崎氏との対話
そして、2週間経ち、冒頭の呟きとなったのだ。朝10時に駒崎弘樹代表とのアポがあったが、予定よりも5分早く到着した。オフィスは、若い女性がいて、明るい雰囲気である。着くなり、「現場に行きましょう」と促されて、タクシーに乗車した。
タクシーの中で、駒崎代表に色々と質問させてもらった。その議論を経て、起業家と社会起業家の関係は、前述を追認する形で、僕の頭の中ではスッキリさせることができた。一方、「社会起業家の中で、NPO法人を採用する場合と、株式会社を採用する場合とでは、何が違うのだろうか」、という新たな疑問が湧いてきた。つまり、「器」の議論である。
フローレンスの駒崎代表から聴取したことを総合すると、基本的に、現状のNPO法人であれば、デメリットが多く、なかなかスピード感を持って規模化するのが難しそうである、ということが理解できた。
理由は、NPO法人では、資本の増強が容易でなく、借入も難しく、企業との取引にもハードルがあるからだ。一方では、米国のNPO法人のように寄付が控除されるようなメリットも無い。つまり、NPO法人を採用することは、現時点では象徴的な意味合い以外には、あまりメリットが無いからである。
もう少し説明しよう。僕が、自ら創業した後に、様々な企業の育成に携わってきた経験から言うと、ゼロから創業し、スピード感を持って比較優位なポジションに法人が到達するまでには、業種業態にもよるが、サービス業では2〜5億円、テクノロジー会社では、5〜20億円の資金が必要となる。
過小資本で借り入れができない場合には、その差額を社員の給与を下げて難局を乗り切るしかない(グロービスでも当初は、思いっきり安い給与で徹夜をしながら乗り切った)。更に、資金ショートを恐れて、必要な投資を抑えることになりやすい。その結果、成長スピードが緩やかになり、結果的に規模化が遅れ、小規模企業が多く輩出されることとなる。
当然駒崎代表のように、有能な一部の社会起業家は、NPO法人であっても成長しえる。ただし、株式会社で事業化した方が、スピードも早いし、規模化が容易な気がする。僕の個人的な見解では、規模が小さいとアドボカシーとしての効用はあっても、実態面での貢献は限定的となってしまう。
そもそもNPO法人であろうが株式会社であろうが、目的が一緒ならば、どちらでもいいものであろう。本気で世の中を良くしようと思うならば、規模化が図りやすいほうを選んだ方が、良い気がする。ま、これも各自でそれぞれの考え方があるので、良い方法を当事者が選べばよい問題ではある。そういう考え方が、もしかしたら「余計なお世話」なのかもしれないし、と思い、それ以上言うことは、差し控えた。
タクシーの運転手は迷いながらも、僕らのことを病児保育の現場がある高層マンションの前に届けることができた。下町に位置する高層マンションの一室である。中に入り、廊下を抜けると、3歳前後の子供と初老の女性が遊んでいる姿が、目に飛び込んできた。色とりどりのブロックがある部屋の中で、38度以上の高熱がありながらも、楽しそうに遊ぶ子供の姿は、とても微笑ましい。「レスキュー隊員」の初老の女性の方の底抜けに明るい笑顔も眩しいぐらいであった。その場に和んでしまい、思わず予定よりも長居してしまった。
会話を経て、この事業は、明らかに社会に新たな価値を提供している、ということが認識できた。名残惜しいのだが、次のアポがあるので、その現場を後にすることにした。
外に出たら、春の陽気だ。日差しも眩しいぐらいだ。帰りの車の中でも、駒崎代表と再度色々と意見交換した。駒崎代表と僕とは、年齢差が17歳もあるのだ。今の彼の年齢は、ちょうど僕が創業した時の年齢と一緒だ。ふと、その頃の僕の姿が重なって見えてきた。「僕も、お金が無い中、一生懸命に駆けずり回ったな。また、全く理解されないことをやっていて、多くの人から白い目で見られてたな〜」と懐かしい情景を思い出してきた。
若者は、基本的に何をやっても、あまり社会からは受け入れられないものなのである。ただ、一方では、全く違う新機軸を生み出すものでもある。確かに、最近の若手にも有望な起業家が増えてきている。グリーの田中良和氏やライフネットの岩瀬大輔氏は33歳だ。環境ベンチャーのリサイクルワンの木南陽介氏や食材宅配ベンチャーのオイシックスの高島宏平氏はともに36歳だ。他にも多くの有望な起業家がいる。
これらの若者が、起業家&(アンド)社会起業家として、手付かずだった分野を果敢に市場化していき、社会にインパクトがあるまで規模化し、永続性があるものにしていってくれている。とても頼もしい限りである。多くの若者には、是非果敢に新たな分野に参入していって欲しい。その結果が、日本の改革に繋がっていくのである。
僕は、車中で、思わず熱くなってしまい、日本をどうやって変えるかを力説していた。タクシーは、飯田橋に着いたので、握手をして駒崎代表一人を先に送り出した。交差点を過ぎたときに、チラッと駒崎代表を見ると、横断歩道の前で忙しそうに携帯電話でなにやら話をしていた。僕が手を上げると、電話をかけながら、彼が頭をペコリと下げた。そして、タクシーは、そのまま二番町のオフィスに向かって走り続けた。
タクシーの中で、駒崎代表に色々と質問させてもらった。その議論を経て、起業家と社会起業家の関係は、前述を追認する形で、僕の頭の中ではスッキリさせることができた。一方、「社会起業家の中で、NPO法人を採用する場合と、株式会社を採用する場合とでは、何が違うのだろうか」、という新たな疑問が湧いてきた。つまり、「器」の議論である。
フローレンスの駒崎代表から聴取したことを総合すると、基本的に、現状のNPO法人であれば、デメリットが多く、なかなかスピード感を持って規模化するのが難しそうである、ということが理解できた。
理由は、NPO法人では、資本の増強が容易でなく、借入も難しく、企業との取引にもハードルがあるからだ。一方では、米国のNPO法人のように寄付が控除されるようなメリットも無い。つまり、NPO法人を採用することは、現時点では象徴的な意味合い以外には、あまりメリットが無いからである。
もう少し説明しよう。僕が、自ら創業した後に、様々な企業の育成に携わってきた経験から言うと、ゼロから創業し、スピード感を持って比較優位なポジションに法人が到達するまでには、業種業態にもよるが、サービス業では2〜5億円、テクノロジー会社では、5〜20億円の資金が必要となる。
過小資本で借り入れができない場合には、その差額を社員の給与を下げて難局を乗り切るしかない(グロービスでも当初は、思いっきり安い給与で徹夜をしながら乗り切った)。更に、資金ショートを恐れて、必要な投資を抑えることになりやすい。その結果、成長スピードが緩やかになり、結果的に規模化が遅れ、小規模企業が多く輩出されることとなる。
当然駒崎代表のように、有能な一部の社会起業家は、NPO法人であっても成長しえる。ただし、株式会社で事業化した方が、スピードも早いし、規模化が容易な気がする。僕の個人的な見解では、規模が小さいとアドボカシーとしての効用はあっても、実態面での貢献は限定的となってしまう。
そもそもNPO法人であろうが株式会社であろうが、目的が一緒ならば、どちらでもいいものであろう。本気で世の中を良くしようと思うならば、規模化が図りやすいほうを選んだ方が、良い気がする。ま、これも各自でそれぞれの考え方があるので、良い方法を当事者が選べばよい問題ではある。そういう考え方が、もしかしたら「余計なお世話」なのかもしれないし、と思い、それ以上言うことは、差し控えた。
タクシーの運転手は迷いながらも、僕らのことを病児保育の現場がある高層マンションの前に届けることができた。下町に位置する高層マンションの一室である。中に入り、廊下を抜けると、3歳前後の子供と初老の女性が遊んでいる姿が、目に飛び込んできた。色とりどりのブロックがある部屋の中で、38度以上の高熱がありながらも、楽しそうに遊ぶ子供の姿は、とても微笑ましい。「レスキュー隊員」の初老の女性の方の底抜けに明るい笑顔も眩しいぐらいであった。その場に和んでしまい、思わず予定よりも長居してしまった。
会話を経て、この事業は、明らかに社会に新たな価値を提供している、ということが認識できた。名残惜しいのだが、次のアポがあるので、その現場を後にすることにした。
外に出たら、春の陽気だ。日差しも眩しいぐらいだ。帰りの車の中でも、駒崎代表と再度色々と意見交換した。駒崎代表と僕とは、年齢差が17歳もあるのだ。今の彼の年齢は、ちょうど僕が創業した時の年齢と一緒だ。ふと、その頃の僕の姿が重なって見えてきた。「僕も、お金が無い中、一生懸命に駆けずり回ったな。また、全く理解されないことをやっていて、多くの人から白い目で見られてたな〜」と懐かしい情景を思い出してきた。
若者は、基本的に何をやっても、あまり社会からは受け入れられないものなのである。ただ、一方では、全く違う新機軸を生み出すものでもある。確かに、最近の若手にも有望な起業家が増えてきている。グリーの田中良和氏やライフネットの岩瀬大輔氏は33歳だ。環境ベンチャーのリサイクルワンの木南陽介氏や食材宅配ベンチャーのオイシックスの高島宏平氏はともに36歳だ。他にも多くの有望な起業家がいる。
これらの若者が、起業家&(アンド)社会起業家として、手付かずだった分野を果敢に市場化していき、社会にインパクトがあるまで規模化し、永続性があるものにしていってくれている。とても頼もしい限りである。多くの若者には、是非果敢に新たな分野に参入していって欲しい。その結果が、日本の改革に繋がっていくのである。
僕は、車中で、思わず熱くなってしまい、日本をどうやって変えるかを力説していた。タクシーは、飯田橋に着いたので、握手をして駒崎代表一人を先に送り出した。交差点を過ぎたときに、チラッと駒崎代表を見ると、横断歩道の前で忙しそうに携帯電話でなにやら話をしていた。僕が手を上げると、電話をかけながら、彼が頭をペコリと下げた。そして、タクシーは、そのまま二番町のオフィスに向かって走り続けた。





